『THE COSMIC SERPENT DNA AND THE ORIGINS of KNOWLEDGE 』の翻訳 |
分子生物学の文献を私が読み始めた時、私はある記述に唖然とさせられた。自ら認めるように、私は見慣れない何かに気をつけていた、私の探求が DNA とその細胞のからくりは間違いなく宇宙起源の極めて精巧なテクノロジーであるとの考えに導いたので。しかし生物学のテキストを何千頁に渡って熱心に読むうちに、私は自分の仮説を確信させると思われるサイエンスフィクションの世界を発見した。蛋白質や酵素が『ミニチュアロボット』として記述されていた、リボゾーム7は『分子コンピューター』、細胞は『製造工場』で、DNA そのものは一つの『テキスト』、一つの『プログラム』、一つの『言語』、あるいは『データ』だった。驚くべき結論をみるには現代の生物学文献を文字通り読むだけでよかった; けれども大抵の著者達は驚きを全く表わさず、生命は単なる『精神に影響を及ぼす化学薬品の現象』と考えていると思われる8 。
7【生化学】《RNA と蛋白質を主成分とする直径約 20 m μ の細胞内構造物; 粗面小胞体に結合するが遊離して存在する; 蛋白質生合成の場》研究社新英和大辞典第6版
8原註: Calladine and Drew(1992. 訳註: 引用文献は省略します) はこう書いている:『DNA の塊は多数の細胞の中で、幾つかのものを出入りさせるが他のものは内部か外側にあるままにしている小さな選択穴のある強い膜によって囲まれている。重要な科学分子はこれらの穴から出入りしている、工場のメインオフィスからその作業場までのメモのように; 実際個々の細胞は多くの点で、非常に小さいスケールの一つの工場全体のようである。DNA や様々な種類の組織の入っていない細胞の隙間は水で満たされている。』De Rosnay (1966. 訳註: 引用文献は省略します) はこう書いている:『実際、細胞は全くの分子工場であるが、その「ミラクルな」工場はそれ自身のメンテナンスを監督できる―見てきたように―だけでなく、それ自身の機械をそれらのドライバーも同様に作り上げられる。』Pollack (1994. 訳註: 引用文献は省略します) は、細胞を工場ではなく都市にたとえている:『細胞は多忙な場所、DNA にコード化された情報に従ってすべて建設された大小の分子でできた都市である。都市の比喩は、あなたが細胞は 1014 (1億の100万) 以上の原子の部屋を持つと考える迄は、目に見えない小さな細胞の超高層建築の比喩よりもこじつけに思われるかも知れない; それは数百万の異なる分子を容れる隙間で満ちている、それは、細胞にある最大の分子ですら僅か数百万個の原子でできているからである。』Goodsell の本 The machinery of life (1993. New York: Springer-Verlag) で、彼はこう書いている:『我々の現代世界の機械のように、これらの分子は特有の機能を効率よく、正確に、理路整然と行うように作られている。現代的な細胞は数百万の異なる分子の機械を作っていて、それぞれは生きるプロセスに於ける各自の数百の仕事の一つを実行している。これらの分子の機械は4つの基礎的な分子のプランに従って作られている。我々の肉眼で見える機械が、金属、木材、プラスチック、セラミックでできているのに対して、細胞にある極微の機械は蛋白質、核酸、脂質、多糖でできている。各プランは細胞内の異なる役割に理想的に合うユニークな科学的個性を持っている。』De Rosnay (1966. 訳註: 引用文献は省略します) は酵素を『生物学上のミクロコンピュータ』や『分子ロボット』に例えているに対し、Goodsell (上記の本の29頁) は、それらを『自動装置』と呼んでいる。Wills (1991. 訳註: 引用文献は省略します ) はこう書いている:『ゲノムは、数多くある中でも、そのコピーができる機械を作る方法の詳細な指示を―そして機械を作るのに必要とされる道具をつくりあげる方法の指示も―含む本のようなものである。』『言語』あるいは『テキスト』としての DNA の論争については、例えば、 Frank-Kamenetskii( 1993. 訳註: 引用文献は省略します)、Jones (1993. 訳註: 引用文献は省略します)、あるいは Pollack (1994. 訳註: 引用文献は省略します) を見られたい。Atlan and Koppel (1990. 訳註: 引用文献は省略します) は 『プログラム』のような DNA の古典的な比喩を拒絶する代わりに、『細胞のグローバルな幾何学的かつ生体学的構造に埋め込まれているプログラムのデータ』の方がもっと良く理解されると主張している。最期に、Delsemme (1994. 訳註: 引用文献は省略します) は『我々は、生命が普通の精神に影響を及ぼす化学薬品の現象であると、完全な心の安らぎを持って考えることができる』と書いている。