2017年 05月 04日
『Destiny of Souls』の翻訳 |
翻訳続き#346
死後我々の感覚が記憶場所に運ばれることについてインドのウパニシャッド1 からの一文がある。私はこの古い哲学的テキストは、感覚、感情、そして人間の自我が不滅の自己に身体上の意識を提供するところの無限の経験に至る道であるという仮定に於いては正しいと信じる。そのような感想が私の依頼人の一人によって説得力ある仕方で表現された:
霊界では我々が地球で楽しんだ場所と物事を思い出したいと望む物は何でも創造することができますよ。我々が物質的にシミュレートした物は殆どパーフェクトです―多くの物はパーフェクトです。しかし体なしでは・・・ねぇ・・・私にはそれらは結局模倣なのです。私はオレンジが好きです。ここでオレンジを作ることができますよ、しかもその髄の甘い味の再生産に近くまで。それでも、それは地球のオレンジをかぶりつく時の味と全く同じにはなりません。これが、私が肉体を持って生まれ変わるのを好む理由の一つです。
1 インド古代の宗教哲学書。ヴェーダ文献の末尾をなすところからヴェーダーンタ(ヴェーダの終り)ともいわれ、また奥義書と称する。宇宙の根本原理(ブラフマン)と個人の自我(アートマン)の一致(梵我一如)などを説き、のちのインド哲学の源流となった。優婆尼沙土。広辞苑第六版
by bbex243054
| 2017-05-04 11:10
| 科学
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