『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
1940年代はよく知られている最も恐ろしい戦争に関わっている、その戦争は、魂とそれと共に世界全体を破壊するかもしれなかったと信じるに難くなかった非常に恐ろしい兵器の出現で終わった。しかもその時ホロコーストがあったのである、それは、死者の頭で飾った黒い制服を着た崇拝者達に指揮されたが、彼らは自分達をスーパーマンであると宣言したのである、それは正しくニーチェの原型の無慈悲さ、ニーチェのモラルではないとしても、を反映するものだった。
この戦争後、スーパーヒーロー達はゆっくりと消えて行った。アメリカ人のだれもがヒーローになった。我々は勝利したのだ。スーパーマンなのだ、みんな。しかしそれから、冷たい戦争がやって来た、しだいに増える個人的に無力感を持つ人が1960年代と1970年代に続いて現れ、我々がこんにち見るような全く伝染性のフラストレーションへ高まってきた。そしてそれと共に、スーパーヒーロー達が戻ってきたが、前よりも遥かに大きな超パワーをつけていた―深く申し分のない仕方で厳しい非常に難しい秘密になっている現実世界と相容れない『the imaginal』を。
完全に思ってもいなかった何かがそこに現れた、この構造物の中に文化の嵐が。1947年6月24日、ケネス アーノルドと呼ばれる男性、情報はほかにもあるがとりわけアマチュアパイロット、は空軍とメディアに銀色の形の乗り物が時速1200マイルの注目すべきスピードで Rainier山を飛び去るのを確認したと知らせた11 。
11訳註 ウイキペディアからの引用: 1947 年 6 月 24 日にアメリカ人のケネス・アーノルド (Kenneth Arnold) は、アメリカワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近の高度 2,900 メートル上空を自家用飛行機で飛行していた。飛行の目的は前日に消息を絶っていた海兵隊の輸送機の捜索であった。午後 2 時 59 分頃、アーノルドはレーニア山付近の上空を、北から南へ向けて高速で飛行する 9 個の奇妙な物体を目撃した。物体は鎖のように一直線に繋がっていた。アーノルドは最初ジェット機を目撃したのかと思ったが、物体に尾部は見当たらず、平たい形状で、翼があり、ジェットエンジンの音なども聞こえなかった。地元アメリカのマスコミはその物体を空飛ぶ円盤 (Flying Saucer) と名付けて大々的に報道し、その後同様の目撃談が相次いで報告された。この事件を受け、アメリカ FBI 長官のジョン・エドガー・フーヴァーは直後の 6 月 30 日に UFO の目撃例を調査するプロジェクトを発足させた。
アーノルドはその飛行体が 2 点間の距離を飛ぶ速度を計測しており、その結果は 1947 年当時の技術では考えられない時速1700(訳註?)マイルというものであった。しかしアーノルドは 40 キロメートルほど先に見えた物体を 15 メートルから 20 メートルの大きさと報告し、その特徴もはっきり分かったと述べているが、40キロメートル先の物の細部まで観察するのはいかに視力が良くても困難なこと (20 メートル先においた1 円玉の模様を判別するに等しい事) であり、熟練したパイロットであっても距離感を掴み損ねることは珍しくないことなどから、集団飛行する鳥か、観測用の気球を見間違えたのではないかという懐疑的な見方も出ている。
1947 年 7 月 6 日、日刊紙の記者であったデビッド・ジョンソンは、ケネス・アーノルド事件の追跡調査にあたった。ジョンソンはアーノルドの親友であったため、アーノルドが嘘をつくことはなく彼が見た物体は存在する、と考えていた。その結果、ジョンソン自身も追跡調査中に未確認飛行物体を目撃することになった。ジョンソンは自家用機を操縦して、ケネス・アーノルドが円盤を目撃した地域にて飛行物体の捜索を行っていたが、そこで「きわめて不規則な動きをする黒い円型の物体」を目撃した。同時刻、観測用気球は放球されていなかったことを確かめたジョンソンはカメラを持ち飛行物体に近づいた。すると飛行物体はゆっくりと横転を始め、その動作が終わらないうちに瞬時に姿を消した。ジョンソンは物体をカメラで撮影しようと試みたが、結果的に何の姿も撮影されていなかった。調査により、この地域付近の飛行場にいた職員数名もジョンソンと同様に、黒い円盤形の飛行物体を目撃していたことが判明した。後日、ユナイテッド航空の機長も、同じ空域で同様の物体を目撃している。アメリカ空軍のプロジェクトブルーブック (Project Blue Book) がこの事件の調査にあたったが、ジョンソンが証言通りの物体を目撃したことは間違いないという結論に至った。このケネス・アーノルド事件を記念して 6 月 24 日は「UFO の日」とされている。アーノルドは記者会見で、飛行物体を「水面をはねるコーヒー皿のような飛び方をしていた」と証言した。しかしその事が「コーヒー皿のような物体だった」と誤って伝えられ、「空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)」という言葉ができた。アーノルドが見た飛行物体の形状は円盤型ではなかったが、飛び方を説明するために使用した「Saucer」という言葉が報道により「空飛ぶ円盤」と誤変換された。そしてこの事件以降に円盤型の UFO の目撃例が多くなったのは注目すべき点である。
多くの必死の救出作業の中に、今新しい話がでてきており、そればかりか、それはあたかも公式見解であることを保証するように見えたものである。その話は見出しで伝えられていたが、それは未知の人宛に使用する非常に古い言葉で書かれてもいた。そのような話は歴史すべてにわたって馴染みのある行のなかに見られる: 不思議な経験が報告される、物語が伝えられる、神話が語られる、信仰が現れる。信仰が最終的に宗教上の修練に儀式化されると、それらは永続性を帯びるものとなる、普通数百年あるいは数千年までも。