『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
Saying Away
私はダンの結論が好きである、何故ならそれはあまりにも先走ったものではないからである。ほどほどのいいかたである。実際、それは肯定的な主張では全くない。ダンは、例えば、こう結論をしているのではない:「もしこれが起こりうるのであれば、文字通りのイエスキリストの復活は本当である」と (彼の聖職者友達はダンがその同じ話をした時完全にこの主張をしたけれども)。ダンはこう結論しているのではない:「もし蜂蜜瓶がテレポートできるのならば、神は存在する」と。彼は単にこう結論しただけである:『唯物論は間違っている。』これは否定的な結論であって、肯定的な結論ではない。それは問題の事例ではない何かについての主張である。
これは名状し難いが重要なポイントの一つである、それはこのような説明できない出来事が基本的に何についてのことかを示していると私は考えるが。それらの「意図する」ことは、私は提案したいのだが、挑発、混乱、そして攻撃である。もっとはっきり言えば、それらは、我々は誰であり何物であるのかについて決着済の確信に対する挑発、我々の認知カテゴリーへ混乱をもたらすこと、そしてそうでなければ完全に物質的な我々の世界への攻撃を意図しているのである。それらが為そうとしていることは、『我々への干渉12 』である。
12これを示すのは殆ど私が最初である。世界のトリックスター (原始民族の神話などに登場する, 詐術やいたずらで秩序を乱す神話的形象)神話は非常に良く似た仕方で影響を与えている、数知れない民話学者や人類学者が注意しているように。同様の態度で、C. G. Jung は1950年代後半の空飛ぶ円盤現象を、合理主義と機械論の長い夜の後に再度自らのバランスをとろうとする集合的精神 (こころ) の試みの象徴であると読み解いている。最終的に、Geoge Hansen は彼のThe Teickster and the Paranormal (Xlibris 2001) の中で非常に同じことを論じている―私見であるが、このトピックについて真に真剣に考える人に対して、読むことを要求している。