『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
「the symbolic imaginal」、即ち「wild vision (奇異な光景)」は非常に違った機能である。これは夢や目覚めている時に見るものがなにか他の世界とか形而上学の真理を瞑想している時に経験される。Whitley の見た物は大方この部類に入る。そこでの夢とか見たものの前後関係は全く手のこんだ奇怪なものに成り得ている。それらのイメージや話は、心の別の姿、何か別次元の現実、あるいは―Whitley の前の章にある―人間が共有する何か別の姿、こういったものの暗号として機能している。そこでは人間の想像力は、それが啓示を与える器官であると言えるような透視能力ではない:それは一対一対応でものを見て投影していないことは、はっきりしている。そうではなくて、想像力は、何かを「別者あるいはエイリアン」と直感あるいは感じて、そうして、それは人間の魂 (psyche) に知られているものだと、翻訳したり、瞑想したりするかあるいは描くのである、 しかしそれは常に暗号で行うのである。故に、解釈が必要になるのである。但し注意されたい、そこには少なくとも二つの「世界あるいは特性」が現れていることを。