『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
これは、結局こういうことになる、多数の形の中で見い出すことが出来る非常に古い考えで、中世ヨーロッパの anima mundi 即ち『世界の魂』という概念を含んでいる。ここに Whitley と同じ版がある:『もし心が生物学と本当に無関係に存在するならば、エネルギー保存則によって、それはかなり古くから存在することがもっともらしくなり、肉体の中に閉じ込められていないのなら、未知の方法でともかくもどこかに制限されていることになる。この宇宙が少なくとも130億年の古さであること、この宇宙以外に別の宇宙が存在する16 可能性を示す証拠が増えていること、これらを考慮すると、心は相当の経験をしていることもありうる。』 控えめな言い方ではある。
それから Whitley は一連の非常に鋭い疑問、明らかに矛盾するものも含めて、を問い続ける:『どのように我々はそれと意思伝達をしたらよいのだろうか、そうする中で、どの程度まで我々は心の中で考えればいいのだろうか?』世界の魂即ち宇宙意識は、結局、我々であると同時に我々ではないようなものになっているのだろう。しかもそれは映画のスクリーン上でゆらゆら揺れている光と非常に似ている様に振るまうことになるのだろう:それはどんな文化の物語(即ち神話)でも、どんな主体的な形態(即ち自我)でも、実に無慈悲で実に愚かな自我も含めて、そういうものになるが、しかし全くそれにもかかわらず、それは純粋な光―形でも、物語でも、宗教でもないもの―であることは変らないままである。The Human as Two 人間はダブルということである。
16訳註 このことについて、『The Key』の訪問者や Carlos Castaneda の師匠メキシコ Yaqui インディアン sorcerer の Don Juan はそれ以上のことを明確にしかも詳しく伝えている。