HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#525 |
神話の歴史に対する関係は非常に重要であるのは勿論だが、一方が他方に与えた影響は大抵の暴露者の解釈とは反対になることがしばしばである。コロンブスが書いたエデンからの有名なナイチンゲール鳥が鳴くのをウォトリング島に上陸したときに彼が聞いたというのは唯一の著しい反例である。しかしもっと多くのことがある。例えば、神話はタメルラン60 やモハメッド2世61 のような偉大な東の征服者の地政学62 に影響を与えたのである。この二人の人間の、行動それも決定的な行動が無学からなされたものとは到底いえないものだった。彼らは意のままに2つの言語、トルコ語とペルシャ語を操る教養を持っていたし、さらに彼らの知識欲盛んな精神は西方への冒険という大きな計画に従事するのを好んだのである。彼らはローマ帝国の破壊に囚われていたけれども、彼らはシーザーやその後継者達についてそれほど多くのことを決して聞いていなかったことが証明されている(von Hammer)。彼らの歴史の情報はペルシャ版の「アレキサンダーの伝奇物語」を超えるものではなかった。最良の資料源としてギルガメッシュに再び戻る。比較するのが彼らの好みのすべてである。ヨーロッパの有力者達が、自分達の可能性を無駄に浪費しながら、惨めな反目で我が身を放ち、トルコとの同盟をさえ模索している間に、 極めて優れた教皇アエネアス シルビウスは、病気で死の床についていたが、出来事の言葉を考え出していた:『野蛮人達はコンスタンチヌス十一世63 の後継者を彼の信者達共々殺害した、主の宮殿の神聖さを汚した、祭壇を放り投げ、殉教者達の遺品を豚に投げつけ、司祭達を殺した、彼らの妻や娘達を、さらに神に捧げられた無垢な乙女達でさえも陵辱した; 彼らは十字架に磔された我らの救い主の像をテント沿いに引きずり、「キリスト教徒の神がそこに現れる」の悲鳴の中、それを汚物とつばで汚した―それで、欲しいものはなにもなくなったようになる。』それは実にキリスト教国の最終的な悲劇、まず西が消えそれから東が消える悲劇であった。その時点で唯一の征服者スルタンはその出来事の言葉を思いついた。『世界の支配者』―Tursum Beg、スルタンの年代記作者は書いている―は霊魂のように聖者ソフィアの天辺に登った; 彼は既に現れた衰亡の印を見詰めて、哀調を帯びた思いに浸った:『クモは Khusrau の半球天井の柱廊玄関64の中にいる観察者として仕えている。ふくろうの声はAfrasiyab の宮殿にある最後の柱で響いている。そのようなものなのだこの世は、終わりを迎えるのが運命なのだ。』
60チムール《1336?-1405; アジア西半を征服し Samarkand を都として世界統一を企てたモンゴルの征服者; 別称Tamburlaine, Timour, Timur》研究社新英和大辞典第6版
61メフメト二世《1430-81; オスマン帝国のスルタン (1451-81)》研究社新英和大辞典第6版62国家の政治外交問題を政治経済地理学によって解明し, 政策立案に寄与する学問。研究社新英和大辞典第6版
63《1404-53; 東ローマ帝国最後の皇帝 (1448-53); Constantinople がトルコ人に奪われたときに殺された》研究社新英和大辞典第6版
64【 建築】ポーチコ《円柱または迫持 (せりもち) で支えられた破風付きの建物; 通例玄関として主建築物に付属している》研究社新英和大辞典第6版