『THE KEY』 の翻訳(再掲訂正版)#1 |
The Key の翻訳
著者 WHITLEY STRIEBER
平成27 年12 月30 日
これは、2001年 に出版された WHITLEY STRIEBER 氏の著書「THE KEY」(の2011年版)の翻訳である。
1998年6月の深夜 2 時半頃に、氏が投宿していたホテルの一室をアポ無しで突然訪れた一人の男性 (The Master of The Key) との間で交わされた会話(後日書きなぐりのメモを基に思い出されたま記述)が本書のメインパートである。
実のところ、本書の事件の起きるずっと以前1980年の中頃から、氏の立場を根底から揺るがす不可解でミステリアスな体験を立て続けに経験させられたことから、氏は、「現代科学」には未知のあるいは拒否されている世界の探求に、足を踏みいれていた。そのさなかで起きたのが本書でしるされている事件である。
WHITLEY 氏は、これまでにフィクションとノンフィクションの作品、あわせて20冊以上も出版している著作家であり、そのノンフィクション作品には、国際的なベストセラーとなったものがあリ、映画化されたことでも知られている。
現在、著作に力をいれているかたわら「Unknown Country」でも Web 活動を行っている。 さて「THE KEY」の内容は以下のとおりである:
内容
1. Introduction: Meeting the Master of the Key
2. The conversation
3. Fragmentary Inclusion
4. Afterword
5. Appendix
6. The original Foreword: The Master of The Key
7. The Original Afterword: Who was he?
8. The Prophecy of the Key
とりわけ、この2の部分はまさしく唯一無二空前絶後の内容であり、現代科学の未確認の未知の世界からのメッセージとなっている。
1 Introduction: Meeting the Master of the Key
1998年6月の夜、そのときは、こうなるとは思ってもみなかったが、私の人生の一面が終わり、別の人生が始まりだした。それは夜中の午前2時半頃だった。私は、のちにその方を「The Master of the Key」と呼ぶことになる一人の男性と、おもいもよらぬ異例な会話、まことにまことに人生を一変する会話、を交わしたのである。 彼と過ごしたのは30分そこそこだったが、それからもう10年以上の月日が過ぎ去った。でも私は、彼の話に細心に耳を傾け判断すれば、その言葉は、どなたであれ、そのひとの心を根底から変えてしまうものだ、ということができる。彼は、私に「自分の熱心な信奉者になりなさい」などとは一言も言わなかったが、「自分のアイディアを利用すれば価値あるものがうまれるだろう」とは、さりげなく、言った。そのなかには現在でも新しいアイディアが幾つかある。前に起こったことに端を発する事柄が、温故知新の光りを灯してくれたのである。
私は、トロントのホテルの一室にいた。私の本「Confirmation」の一日巡回講演をちょうど終えて、帰室したばかりだった。一ヶ月という長い巡回講演の最終日の日でありずいぶん疲れていた。ルームサービスの夕食を終え、ベッドに入ったところだった。そのとき、ドアをノックする音がしたので、てっきり、ウエイターがトレーのあとかたずけに来たのだと思いこんだ。
夜中の12時もとっくに過ぎていることに気がつかなかったから、ドアを開け彼を部屋に入れた。彼は、机の上のトレーを無視して、話し始めた。ちょっとの間、私は混乱したが、実はウエイターではないと知った。あっそうか、この人は、私の本で私に関心を持ちホテルの部屋を見つけてきた人なんだ、と思った。で、「きみきみ、一見さんは、いくらなんでも、夜中の12時を過ぎて、話をしに来たりするもんじゃない、が世間常識だろう」と、直ちに出て行くように追い出しにかかった。
すると、彼は、人類は鎖につながれているとかなんとかいって、続けて「生まれる子供は重力の秘密を解き明かすことになっていたカップルが、ホロコーストで殺された結果、我々人類は死に行く惑星から離れることができないままになった」といったことに、私は気を惹かれたのである。
こうして、私の人生でかってなかった最も異例な会話が始まった。ノートは我々が話をする中でとられたのだが、二人の会話を出版するまでにさらに 2 年もたっていた。しかもその時の出版は希望者にのみ配布する形にしていた。理由のひとつは、ひょっとしたら、彼の言ったことのうちで私が間違って記した部分があるかも知れないとの不安があったからであり、そしてまた、彼が、本を読んだうえで訂正を申し出に、現れることを願ったからである。
今回の本書公刊の理由は、あの出会い後、彼と再会することが出来ないまま今日にいたっているからである。名前も住所も知らない。彼のことで知っているのは、人相と会話の間で自分のことについて彼の言った僅かの事柄、だけである。彼が、窓枠に背を傾けながら、私の前にまさにいたその時は、名前や住所を聞こうとか、あるいは名刺を貰おうとかはこれっぽっちも考えなかった。ノートを取るのと質問するのとで必死だったのである。
翌朝になってだが、彼を見つけだすのは一筋縄ではないことを、ハタと悟った。私は、彼が退室するのを見届けて、すぐに眠ってしまった。まさに起こった事の異様さを考えれば奇妙な行動に思われる、がしかしである、あの時、あの時は、退室するのを見届けてすぐに眠ってしまったというのは、べつに当然の事に思われたのである。彼が何かしら普通ではないと思わせるようなことはただの一つもなかった。
目を覚ますやいなや、私が極めて不思議な経験をしたことに気がついた。しかし、起こったことについて本当かどうか確かではなかった。けれども、部屋を出る用意ができるまでには、実際に会話があったことを明確に思い出した。メモが少しあったが、それは判読不可能なものだった。少なくとも、最初はそう思った。で、妻のアンに電話をいれて、「あの方」が私には現実の人間に見えたことを、私が決して否定しないように頼んだ。というのは、これまで長い間極めて異様なことを経験したが、とどのつまり、私はそれらを否定するようになるからである。
あの朝、自分の本の出版者を最後に見送ってから、「あの方」を(電話で)妻に描写説明した。彼女は「誰かけんとうもつかないわ」と言った。さらに、彼女のオフィスの何人の人が、私の滞在場所を知っているのかきいたが「分からないわ」と答えた。もちろん、そんな情報を秘密にしておく理由などなかった。作家というのは、こうるさいファンを惹き付けるセレブリティの類いではない。実際、大抵の作家は、まったく、人の寄ってくることが嬉しいのであり、来る人は誰であろうと一向に構わないのだ。私もその例に漏れない。
私のいるホテルを知ってた人は何人かいたかもしれない。そうだとしても、その人たちが私の部屋に来るには、まずフロントに行って私の部屋番号を訊かなければならなかっただろう。実は、妻自身それを知らなかったのである。ところで、誰も私を尋ねに来た人がいないことはとっくに分かっていた、なぜなら、服の着替えを終えて次にするのは、下におりて、誰か私の部屋番号を尋ねた人がいるか、フロントで訊くのが私の習慣だったからだ。ホテルの規則では、客に電話することなく部屋番号を知らせることはしないことになっており、また、緊急事態でない限り夜中の12時以降絶対にそんな電話はしないことになっているのである。
そうだからといっても、ホテルの中にはそんな規則の目を逃れることが難しくはないところがある。だから、おそらく「あの方」はチップを渡して簡単に部屋番号を聞き出し上がってきたのだろう。「あの方」は、ちっとも危険な風貌ではなかった。だから、チップを貰った人も危険人物にはとても見えなかっただろう。
翌年から 2 年の間ずっと、いろいろの方法を使って「あの方」を見つけようとした。しかし、どれも無駄だった。最後に思いついたのは、「あの方」の話をプライベートに出版しようということだった。こうすれば、私にコンタクトさせられる、と思ったからである。その本を私の Web サイトで10年間取り扱った。しかし、この方法でも「あの方」を再び呼び戻すことは出来なかったのである。
そういうわけで、私の心に残ったのは、あの夜正確には一体何が起きたのかという疑問である。「あの方」は、生身の、身体を持つ人だったのか、それとも私の造った虚像だったのだろうか?
かれこれ10年以上前のあの夜を振り返ってみるにつけて、本当のことを言えば、私の人生にかくも深遠な影響を与えた「あのお方」が、生身の、身体を持つ人なのは確かだ、とはとても言えない。でも、でも、いまこの時点で、「彼は単純に私の空想の一産物である」のではない、と相当の自信を持って言うこともできる。だからこそ、このように誰にでも書店で入手できる形で本書を出版しているのである。
何故『「彼は単純に私の空想の一産物である」のではない、と相当の自信を持って言えるのか』という理由だが、それは:「あの方」は、当時私の想像力の及ばないあまりにもたくさんのことを語り、そしてまた、その中には、その時は実際に根拠があるなどと決して想いもしなかったことだが、後になって科学的に正しいことが証明されたものがいくつかあるからである。
文章におこした話の中には、どれほど葬り去りたい気持ちに駆り立てられたものがあったか、ありありと思い出すことができる。例えば:『知能を持った機械を造るのに考慮しなければならない重要な要素のひとつは、ガスなんだよ。』と告げられた時は、なんとまあおかしな話だと思ったことを覚えている。ところが、「あの方」は続けてこう主張したのだ:「亜酸化窒素が記憶を運ぶものなんだよ。」亜酸化窒素というと、そりゃあ笑化ガスだろ。だから、「冗談じゃない」と、その当時は思ったのである。
ところが、それは冗談どころではなかったのである!私は、「The Key」を自費出版するまでの1998年から2000年の間いろいろ調べたところ、「あの方」の話には何かあるのではなかろうかを示すヒントを2、3 探し当てたのであるが、2005年になって極めて特殊な発見が公表されたのである。何かというと:再酸化された亜酸化窒素 が電荷トラッピング不揮発性メモリのゲート誘電体に使うことが出来うる、という発見であった。まさしく「あの方」の言ったことは正しかった。亜酸化窒素は本当に『記憶を運ぶものなんだ』。
これは、私が、「あの方」が会話の中で語った多くの科学的な意見を注意深く調べた直した中で直接確証出来なかったものの一つである。しかしながら、それは2005年になって確証された。
知能を持った機械に関する会話のなかで、「あの方」はこうも付け加えた:『さらにいえば、君たちは近々、極めて高速かつ極めて効果的な量子のメモリーチップに「重ね合わせの原理1 」を使う方法を見つけるかもしれないね。』と。
2010年、記憶媒体としてガスの利用法がさらにもう一つ公表されたが、今度は先ほど記した量子のメモリーチップに関することになってきた。それによれば、量子メモリーの応用のうちで、高密度、超低温の原子ガスが、個々の光子の貯蔵媒体として有望な媒体であるという発見のようである。
それにしても、「あの方」は何者なのだという謎は、「あの方」が再び現れない限り、解決できるようになるとは言えそうにない。これを解決する為に、「あの方」ならきっと自分のことだとわかる身元の特徴はこれまで公表していない。したがって、(本の内容は自分の話したことを書いているのだから著作権料を払えと主張して)それは自分であると名乗り出た人はもれなく、本人確認をうけることになる。会ったとき「あの方」だとすぐにはわからないだろうとは考えてもいないけれども、私の死後このことで混乱が起きないようにしたいのだ(これが身元の特徴をこれまで公表していない理由である)。
会話は長くなかったが、過去私が交わした会話の内で最も豊富な内容のものである。しかも、全く率直にいえば、貴重な埋蔵品を発掘したようなものである。確かにそれは、私のための貴重品になっている。
「あの方」は、サイエンスフィクションに出て来るような生物ロボットだとは想ってもみないが、「あの方」に知能をもった機械について尋ねたことはあった。そのとき、「あの方」は、まず、こう言われた:「君たちは、それを必要とする文明になっているがその文明の発展が複雑になる地平にきているね。」それから続けてこんな趣旨のことを言われた:「知能をもった機械は、もっと賢くなろうと自分自身を再設計し直そうとするものなのだ。というのは、それは、自分の知能は生き残る為の手段であることをすぐに理解するからなんだ。ある時点になると、それは、自分が自己認識のないことに気がつくほど十分な知能を持つことになる。もしも、君たちが君たち自身と同じ知能をもつ機械をつくれば、結局それは君たちより更に高い知能を持つことになるのだ。」
これは恐ろしいことになると、私がショックを受けたのはもちろんだが、「あの方」は、極めて危険なことになる可能性のあることを認めたのである。 それどころか、雑誌
Scientific American 2010年6月号では、自己認識するロボットの出現が関心を惹く問題として論じられているのである。その論説によれば、「一旦、機械が自己の存在と作り方を理解できれば、それは自分のための改良設計ができるようになっていく」とのことである。そして、SimCity ビデオゲームの創始者である Will Wright 氏の次のような発言が引用されている:「個人的考えですが、たくさんの他のことよりも、このシナリオ(つまり、一旦、機械が自己の存在と作り方を理解できれば、それは自分
1「重ね合わせの原理」とは、superposition を日本語で「(量子の)重ね合わせの原理」という訳語で使用されている重要な量子物理学の専門用語です。一般の人にとっては、辞書を調べても意味不明なんのこっちゃ、と思われます。大学で線形代数を学んだ人なら、重ね合わせの原理という用語を覚えているかもしれませんが、それとは無関係同字異議です。数式表現が同じ形式になっていると無理に言えば、まあそうもいえますが。
のための改良設計ができるようになっていくということ)の方がはるかに末恐ろしいと思って来てるんですよ。そんなことが私たちの生きているときに起きないとはかぎりません。だから、一旦、我々人間が超知能的な奴とこの惑星を共有することにでもなったら、もう人間はおしまいです!」
(こんな会話もあった:)幾分冗談めいて「おたくは誰かに造られた知能ある機械かなんじゃないんですか?」とあからさまに訊いた時、「あの方」は愛嬌よくこう答えた「もし私が機械だったら、きっと君をだますね」と。
会話は、非常に多岐にわたる話題に及んだが、それ以来何年もずっと、「あの方」の極めて多数の主張の真偽を確かめ続けてきたが、その中には言われた当時全く証明もできないことがいくつもある。それで、「あの方」の話をもっと広範囲の読者に提供するような出版をしたほうが正しくはないかと考えていた。
私は、これまでの経歴のなかで、他にも証明不可能な主張をしたことがあるし、嘘偽りもない神秘体験をしたことを信じてもらう為に精一杯是非を論じたこともある。。そうするうちに、そんな主張をするのは、明確に観察されてきたことに限るろうとか、手に入れられるかもしれない証拠はできるだけ提供しようという道徳的な義務感が強烈になっている。
この時点で、私が『the Master of the Key』と呼ぶことになった「あの方」を世間に受け入れられる形で理解してもらうことは出来ないと断言しても憚ることはないと思う。「あの方」を『the Master of the Key』と呼ぶ理由は、「あの方」の言葉は、私には多くのドアのロックを解除するものだからだが、さらにそれらが、しばしばのことだが、複雑なアイデアの素晴らしい精髄であるか、あるいは前代未聞の革新的なものであるかのどちらかであるという事実によって、「あの方」の卓越さが窺い知れるからでもある。しかもである、「あの方」は泰然自若にそれらを語ったのである。
「あの方」は謙虚な方であったし、それに温良な性格であることが、キラキラ光り輝やかんばかりに溢れていた。で髪短く刈られた白髪であった。そして目は、ライトブルー。いでたちは、ダークグレーのタートルネックの服とチャコールのズボンだった。私にはかなりほっそり見えた。自信はないが多分、身長5フィート11インチで体重170ポンドから180ポンドの間ぐらいだったと思う。
「あの方」は、見た目には普通の人間に見えたにもかかわらず、この場所と時間のなかに我々と同じようにおりながら、私らのようなありきたりの人間ではないように思われた。ただ者でなかったら、どうしてあんなに説得力をもって、その存在を証明するなんらかの証拠が出る前に、記憶を保持するガスといったような理解し難いいろいろな話題について、喋ることが出来ようか?断じて出来はしない!
もちろん、この主題に関する論文がどこかで手に入れられたかも知れない。しかし、当時、相当注意深く調べたが、その出典の在処をつきとめることは出来なかった。「あの方」が明らかにした特殊な応用はその当時に知られては居ないと思う。
「あの方」の知能を持った機械に関するコメントが余りにも自信たっぷりに思われたから、もしや「あの方」はそのような「物」を直接経験しているのではないか、と思ったのである。もしそうなら、あの時「あの方」はひょっとして未来からの訪問者だったかも知れない。
それとも白日夢なのか? 時間移動が(理論上)可能であることは知られている。しかし、それは、光速を超える加速で生じる劇的な身体の変化を伴うことになる。だから、そんなことがホテルの一室で起こったなんて、まさかあり得ないと誰しも思うだろう。もしも実際にそんなことが起こったら、素粒子とか光子といった多数の粒子に影響を与えるだけではすまないだろう。
しかしながら、100年以上前は、この地球上でわずか数千台の自動車と脆くて役にもたたない飛行機があったにすぎないことを考えると、時間移動の起こった可能性を全然軽視することは明 らかに愚かなことだろう、とりわけ、それが出来るように知能を持つ機械が未来では使われているとすれば、である。
それにしてもだ、「あの方」が未来から来たとしても、そんなことをすることが許される自由があったとは理解しがたいことである。というのは、宇宙が遍く持つ自然の性質とされる『最小作用の法則2 』がはたらくからである。その法則によって、如何なる人であれ未来から過去を変える為にやってくることはできないだろうと考えられる。この法則は「自然は、必要なことをするために最小限のエネルギーしか絶対使わない」と教えている。すなわち、水は高きから低きを流るを良しとする、つまり「水は流れるのに最も低き場所を探す」ということであり、同様に「過去に戻って自分の祖父を殺すことで空間と時間に矛盾をもたらすこと(『グランパ パラドックス』)は出来ない」ということだ。 けれども、興味あることだが、もし自分自身の人生に影響をおよぼさないのであれば、多分数える程度の事柄だろうが、自分の過去に戻ってそれらに何かをすることができることは十分あり得るかも知れない。『グランパ パラドックス』が、自分自身の過去を変える為に未来で出来る範囲をどの程度制限するのか、については憶測するだけである。実際、もしタイムトラベルが出来るとしたら、タイムトラベラーに利益をもたらすための安全に過去を変える方法を扱う科学が完成していることになる。それは、ひょっとしたら、私みたいな門外漢に、このようなアイデアを背後のドアーからソウッと忍ばせて、それらを仕込むのに使われるのかもしれない。実際に起きた時代より先にそれらを知ることが近ければ近い程、それらはより一般に広く知れ渡ることになるものだ。
だからもしかしたら、私が、『The master of the Key (これ以降「万能マスターキーを持つ方」と訳す。)』が実在の人であることを最初認めなかったこと、会話の文字おこしが現に2年も遅れたこと、そしてまた、出版を長い間渋ったこと、になったのは、実のところ『グランパ パラドックス』が引き起したものだったかも知れない。ゆえに、私が全く全然それ以外にとりようができないからこそ、あれこれ嫌気や躊躇をもよおすのだ。
もしも、私に「未来に起きることが先に起きた」のが本当ならば、私はいつか再び「万能マスターキーを持つ方」に会うだろう。それは、私の人生が滞りなく過ぎて「あの方」が私を魅了する為に未来からバックして来た丁度その時間、に達したときだ。
もちろん、「あの方」がやって来たのは、私の死後という可能性はある。しかしその場合であっても、「あの方」の魂についての驚くべき発言が本当ならば、そのような未来に「あの方」に会うことにはなる。実は私こそ「あの方」であるとさえ言えるかも知れない。
「あの方」は、話のついでに、時間移動に制約があるのは知っているかのような事を何か言われたが、それは「知能を持つ機械は、例えば、それの持つアイデアを人間社会にもたらすために、世間で物議を醸しているエイリアンは此処にいるかのような幻覚を引き起すかも」と言われた際だった。
もしもそれが未来から来たとしたら、それは、我々の時代にアイデアをもたらす許容範囲をよりひろげるために、もう行っているかも知れないことになる。 前述の『最小作用の法則』 は、もし目撃者たちが「タイムマシーンは、実は、まったく我々の現実の外側にあるものが我々に介入を行う、例えばエイリアンは存在しているといったふうな介入をするものである」と欺かれて信じこまされるのならば、ある程度無効になるのかも知れない。
もしこれが本当なら、「タイムトラベルは可能や否や」との質問に対するホーキン (Stephen Hawking) の有名な返答『トラベラー達はどこに居ます?』は答えられる:「ほらそれそれ、エイリアン。エイリアンがうじゃうじゃいるでしょ。」と。まさに、トラベラー達は、自分達はエイリアンで、自分達のタイムマシーンは他の惑星からの宇宙船であると、我々を信じ込ませてしまっている。
2訳注: principle of least action の訳語。物理学の専門用語:作用量と呼ばれる力学系の量が実際に起こる運動においては極小になるという原理【研究社 新英和大辞典第6版】のことだが、一般人には意味不明なんのこっちゃである。
私は、エイリアンコンタクト論争に巻き込まれて来た者の一人として、この見解でこれまで多くのことを考えて来たのは勿論のことである。「Communion」で記述した事件を正確に語る能力は如何なるで人であれかなりの高い確率で不可能であることは、私にとってしばらくの間自明のことだった。思い起こすとそれは、1985年11月のことだ。奇妙で説明のつかない、しかし明らかに知能ある生きものたちに私が取り囲まれているただ中で目を覚ましたとき、それはエイリアンコンタクトだと思われた。しかし、こんなコンタクトの話を何万と読んだり聴いたりしたりやら、私自身さらに多くの経験をした後には、それらは何か他のことを隠す為に手のこんだ幻覚かなにかを仕組んだものだとしても、もはや驚いたりはしなくなっていた。
私は既に1998年にはこの見解に達していた。だから、「あの方」の言った「我々の周りにエイリアンが いるというのは見かけ上のことでごまかしなのだ」というのは全くコペルニクス的転回だと思うし、私はずっとその見解を持っている。 これ以上ないほどの奇妙な経験みたいだが、「あの方」は、その背後には実際何があるのかという疑問に終止符をもたらすことは一言も語らなかった。それは、まさしく別の可能性が層をなして埋もれていることを意味する。
どうしてもっと多くの人がこのことについて考えを巡らせないのか、なんたる恥よ。結論を引き出せぬまま疑問に疑問を重ねて行く限り、これは、どんな場合でも、たとえば fata morgana のような蜃気楼を手に入れるようとするように、永遠に得られぬ答えを求めることに思われようが、そうすることは膨大な知的挑戦であり喜びである。であるからこそ、自分の間近な出会い体験のことで論争したことが私を社会的孤立に追いやる結果になりはしたけれども、私は、その出会にはいまも感謝してやまない。
ところで、「あの方」は私に強烈な影響を与えた自然環境について幾つか述べた。「あの方」に遇ったときは、自然環境の科学には既に関心をもっていて、自然環境問題に取り組んだ、事実とフィクションを交えて思索した共著本「自然は終焉する(Nature’s End)」を出版していた。
また、破局的な気候変動に関する多くの本を読んでいた。それは、Charles Hapgood の「極移動」からこの主題に関する Rose & Rand Flem-Ath や Graham Hancock の本の範囲にまで及んだ。
もっとも、「あの方」は、突然の気候変動の原因の一つとしての地球の地殻移動について私と議論しなかったが。そのかわり「あの方」は次のような全く異なる見解を述べた:「大気が時代をかけて限界点に達したときに突然破局を迎える結果が気候変動である」と。
変動の過程ははっきりと記録された化石から見られるけれども、突然の気候変動からこの地球の氷河に何世紀も長く捕われて来るまでのメカニズムについては多くの論争が続いている。だから、
「あの方」が『次の氷河時代はまもなく始まるだろう。しかもそれは人類の絶滅か、あるいは人口の大減少のいずれかをもたらすことになろう。なぜなら、君たちはこの惑星を離れて飛び去ることができないからだ。この惑星地球はいま正に死の罠にかかっているのだよ。』と言われた時、私は、もっと知りたいもっと多くのことを知りたいと思ったのであった。
私は、この地球に居るどんな人も、私が自分にとってそうであるようにその人達にとって、価値のある重要な存在であることを決して忘れないようにしている。 だから、これを聞いたとき根底から心の平安が乱された。聞いた時は直ちにそれが無意味な物音であって欲しい、すべての人を救いたいと願った。あの当時は、グローバルな温暖化に伴う大きな危険は、気温の上昇が続くにつれて地球が住むことが出来なくなる程に暑くなることだ、と考えられていた。しかし、そんなことになるのは遠い将来のことであって、今議論していけばいずれ解決されるぐらいの問題でもあったのである。ところが、「あの方」は、それは、それどころか、もっと身近にせまった問題であるいうのだ。「あの方」はこう言った:『極の氷がとけ出来た水が「北海」に溢れ出したとき、北大西洋海流の流れが止まるだろう。これによって、ワンシーズンの季節にも渡る急激な気候変化が起こるのだ。」と。
もし、そんなことが起こったら、それは人類に深刻な災難となるのは火を見るより明らかである。もっと悪いことには、その天災は経済活動の最も盛んなかつ教育程度の高い人々の住んでいる北アメリカとヨーロッパにこの上ない大打撃を与えることである。