2015年 09月 03日
HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#168 |
翻訳続き#168
ここで再び一本足の人物達が重要になる。世界中に、いろいろな働きを持った当惑する程の数の一本足がいるのである。
訳註 この一文を読んだ時、ふと古事記(上巻・神代の巻)の『やまだのそほと』を思い出しました。『やまだのそほと=くえひこ=すくなひこなの神』の記述が、天孫降臨には無関係な、つまり天津神に無関連な大国主神の国づくりに関する物語です。「やまだのそほと」は一本足の存在、所謂『山田の案山子(かかし)』のことであるとされています。古事記の中では、一本足の表現は直接使われていませんが、そのように考えられる内容になっているからです。興味あるのは、この神が「ある種の『皮』を身につけていること・国作りに協力した後『常世(とこよ)の国』に去って姿を消すこと」です。私は古事記上巻はけっしてお伽噺でも文学でもなく一種の宇宙創成神話であるとの信念でその謎を現代的に・物理学的・数学的に解こうとして、長い間本業の数学そっちのけで五里霧中になっていました。結局今でも謎は謎のままで古事記のことは念頭からなくなっていましたが、本書を読んで改めて古事記を見直さねば、という気持ちになっています。さて、その『やまだのそほと』のくだりの訓読文を長くなりますが参考の為に引用します(倉野憲司校注の岩波版古事記からの引用ですが、漢字は差し障りない限り、ひらがなにして引用。):
故(かれ)、大国主神、いずものみほのみさきに座すとき、なみのほよりあめのかかみぶねにのりて、『●(我ヘンに鳥;本居宣長は蛾の誤写であろうとして、ヒムシと訓んでいる)』の皮をうつはぎにはぎてきものにして、よりくる神ありき。ここにそのなを問はせどもこたへず、またみともの所神にとはせども、みな「しらず。」とまおしき。ここに「たにくく」まおしつらく、「こは『くえひこ』ぞ必ず知りつらむ。」とまおしつれば、すなわち『くえひこ』めしてとはす時に、「こはかみむすひの神の御子、すくなひこなの神ぞ。」とこたえまおしき。故(かれ)ここにかみむすひのみおやのみことに白しあげたまへば、こたえのりたひしく、「こはまことにあがこぞ。子の中に、あが「たなまた」より漏(く)きし子ぞ。故(かれ)、いまし「あしはらしこおのみこと」とあにおととなりて、そのくにをつくりかためよ。」とのりたまひき。故(かれ)、それより、「おおあなむち」とすくなひこなと、二柱の神あいならばして、このくにをつくりかためたまひき。さてのちは、その「すくなひこなの神」は、『常世の国』にわたりましき。故(かれ)、そのすくなひこなの神をあらはし白せしいはゆる『くえひこ』は、いまに『山田のそほと』といふぞ。この神は、『足は行かねども、ことごとくあめのしたのことをしれる神』なり。
by bbex243054
| 2015-09-03 10:05
| 科学
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