2015年 07月 24日
HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#50 |
翻訳続き#50
それではジャムシードあるいは Kai Khusrau とは一体何だったのだろうか?簡単に言えば、それは、一つの魔法の像、一つの架空のものである。理解した人達にとっては、それは『時間』そのものの反映なのであり、それの大きな局面の一つであることが明らかに分るのである。それらは多くの場所で多くの名前の下で認めることが出来た、相反する言及のものすらあった。それは常に同じ神話だったが、それで十分だったのである。それは宇宙の法則を、それに固有な言語で、「時間」の言語で、表現したのである。秩序と調和の現われとしての宇宙について語る手段だったのである。
生きている、うつろいゆく(訳註 原文はラテン語:sub specie transeuntis、)現実のすべてのものには物語がある。それは、虎とか定理とか、あるいは軌道上の星とかをおそろしいほど左右対称にして、畏怖させるような、あるいはぎょっとするような、あるいは心地よい様相で現れるが、魂には生き生きとして現れるのである。それは「時間」に支配されているが、永遠の形態の枠組みの中での、我々を含めた変容の劇である。「時間」によって支配される思考は神話においてのみ表現されうるのである。神話の言語が普遍的で他に説明を要しないものだった時代は、考え方もまた他の考えを必要としなかったのである。それは他の用語では説明のしようが出来なかったであろう。というのは、それは生きていると表現された現実だったからである。ゲーテが言ったように、『うつろいゆくすべてのものは喩えにすぎない。(訳註 原文は Alles Vergängliche ist nur ein Gleichnis.)』のである。
現代人は、対象物の位置を決めるのに空間用語を用いて考える。子供時代が終わると、最初に持つ疑問は『それは何時何処で起きたのか?』である。科学や歴史は状況の考え方のすべてに染み渡っているから、神話の出来事は単なるお伽噺としての価値のものに落ちている。以下のようなことは人から空想されることがないように思われる:場所が特定されていない、真剣に考えられることは殆どない、何処でも見られる空間、そして周期をもつ時間。
by bbex243054
| 2015-07-24 11:34
| 科学
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