『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
Emergent Mythologies
第1章で説明し、ここ Arthur C. Clarke の有名な言い方のひっくり返しで、再び明らかにした様に、我々に起きていること、そして長い間ずっと起きていたことを本当に理解する為には、機械のような読み方に排他的な信頼をおくことは積極的に止めて唯物論者の想像から離れ去ることによって新しく始めなければならないと、私は考える。古い宗教上の物語は、それらがこれの全ての霊的側面を認めるということでは何らかの手段になるかもしれない、ここはひっくり返しである。しかしそれらはそれ以外では遥かに悪いものである。二度と、科学万能主義もドグマ的宗教も我々をそこにつれて行くことはない。我々は矢を両方向きに放つ必要がある。コインを、裏を表に、表を裏に、ひっくり返し続ける必要がある。上向きの螺線で進む必要がある。前進する新しい第 3の方法が必要である。それは別の言い方をすることになる: 我々は別の物語を全く必要としない;『別種の』物語、即ち、物語を伝える別の方法が必要なのである。
これら新しい物語とそれらを伝えるこの別の方法はどの様に見えることになるだろう? 私は分らないが、私は二つの基礎的な推測を持っている。
一つ目の推測は、これら新しい物語は現代の宇宙論、量子物理、そして進化生物学をインスピレーションの主たる源あるいは一般的な枠組みと捉えて、『宇宙の意識した進化』という極めて強固で広大な意味をそれらの語り―そう、宇宙論の、物質的な、そして生物学的な話は勿論だが、また教養の話と霊的な話―の中心に据えるだろう、ということである。そこでは我々は、カールサガンが言ったような『星屑』では全くない。我々は、命を持つ惑星の広大な網の中に意識を持ち気づくようになる星『明かり』の高度に進化した現れとなる。その時、これら新しい物語は全くの進化論的なものではないものになるだろう。それらは『green』、即ち、希望と方向で深く生態学的なものにもなるだろう。 Mutants and Mystics で、私はこの深い、科学を鼓舞する、自然に基づいた構造の緊急神話学を『Super Story』と名づけた。それは私には完全に正しく思われる。