『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
我々の宗教上のシンボルは、例えば、何かの究極的現実の姿を指しているかもしれない、あるいは何ら究極的現実の姿を指していないかもしれない、しかし文字通り正しいのではなく、また絶対精確なものだととるべきでは決してない。これは宗教の比較研究の基本的な教えである。それは宗教が記録された歴史すべてにわたって繰り返した基本的誤りでもある: 宗教信仰者達は余りにもしばしば (常にではない) 実際の遭遇を暗号化した文化の記憶を文字通り「何かのもの」だと、「どれも」完全に精確な記述だと、取り違えている。彼らは「どの宗教の真理も伝達されたものである、だから相対的なものである」ことを余りにもしばしば忘れたか、あるいは単に知らなかったことが多すぎる。彼らはフィルターをフィルターされたものと、媒介物を伝達されたものと、プリズムを光と取り違えている (今日脳と心を取り違えるありきたりの神経科学者と似ていなくはない)。結果として、彼らは、自分達のローカルな言語、神聖なテキスト、神話学、そしてローカルな社会の修練やモラルの価値に祀りあげることになった、それらのどれも普遍的なものではない、あるいは普遍的なものになりえない。彼らは恍惚のままである。