『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
私はここに加えなければならないことがある、それは、Philip K. Dick が Valis との遭遇から同じ結論をしばしば表わしていること、即ち、『我々は生きている』が、我々の見る『死者』は実際は生きている、ということである。Whitley は上記で同じ主張をしているのである。Charles Fortはほぼ100年前にこれと同じ『flip42 を提示したのである。
42 裏返し・ひっくり返し』
それから、Whitley は文字通り記憶のプロセスを熟考することになってゆき、出来上がった彼自身の記事を見直している、そしてそれらについての自らの理解度を見直し続けている。最後に彼の移植に触れる:
さて、本とあなたに以前出した手紙の両方にこれらの事柄を記したことは、私は分っていますが、私達はこのような明滅する光を追求しています、ねそうでしょう? その度に、それはちょっと違い、ちょっと新しくなって欲しいと思います。(どちらもさらに良いものに、勿論常の様に、もっと悪いものに!)
私の人生でこれらの経験が始まる前は、私は、我々をプラトンの洞窟43 の内部に存在していると考えたものでした。しかしながら、私は、我々は洞窟の内部にいるのではまったくない、それどころか、我々は洞窟『なのだ』、と考える様になりました。その結果、こういうあらゆる影とあの洞窟の忌々しい光のすべては、ハンプティダンプティ44 をもう一緒にくっつけることはできなくなるのです。
しかし、ああ、私がその明滅する光の度合いが分り私がそれをマスターしたと思う度に、私は耳の中にある移植片に入って触っているのですよ、そして、おお、私の大事な物! と思うのです。
43訳註 プラトンの洞窟の譬え再録: 以下ウイキペディアからの引用(プラトンの『国家』(ポリティア)第 7 巻)。
「ではつぎに」とぼく(ソクラテス)は言った、「教育と無教育ということに関連して、われわれ人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。 ―地下にある洞窟状の住いのなかにいる人間たちを思い描いてもらおう。光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった人口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの住いのなかで、子供のときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ていることになって、縛めのために、頭をうしろへめぐらすことはできないのだ。彼らの上方はるかのところに、火が燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。この火と、この囚人たちのあいだに、ひとつの道が上の方についていて、その道に沿って低い壁のようなものが、しつらえてあるとしよう。それはちょうど、人形遣いの前に衝立が置かれてあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じようなぐあいになっている」
「思い描いています」とグラウゴンは言った。
「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や木やその他いろいろの材料で作った、人間およびそのほかの動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んで行くものと、そう思い描いてくれたまえ。運んで行く人々のなかには、当然、声を出すものもいるし、黙っている者もいる」
「奇妙な情景の譬え、奇妙な囚人たちのお話ですね」と彼。
「われわれ自身によく似た囚人たちのね」とぼくは言った、「つまり、まず第一に、そのような状態に置かれた囚人たちは、自分自身やお互いどうしについて、自分たちの正面にある洞窟の一部に火の光で投影される影のほかに、何か別のものを見たことがあると君は思うかね?」
「いいえ」と彼は答えた、「もし一生涯、頭を動かすことができないように強制されているとしたら、どうしてそのようなことがありえましょう」
「運ばれているいろいろの品物については、どうだろう? この場合も同じではないかね?」
「そのとおりです」
「そうすると、もし彼らがお互いどうし話し合うことができるとしたら、彼らは、自分たちの口にする事物の名前が、まさに自分たちの目の前を通りすぎて行くものの名前であると信じるだろうとは、思わないかね?」
「そう信じざるをえないでしょう」
「では、この牢獄において、音もまた彼らの正面から反響して聞えてくるとしたら、どうだろう? 彼らのうしろを]通りすぎて行く人々のなかの誰かが声を出すたびに、彼ら囚人たちは、その声を出しているものが、目の前を通りすぎて行く影以外の何かだと考えると思うかね?」
「いいえ、けっして」と彼。
「こうして、このような囚人たちは」とぼくは言った、「あらゆる面において、ただもっぱらさまざまの器物の影だけを、真実のものと認めることになるだろう」
「どうしてもそうならざるをえないでしょう」と彼は言った。
「では、考えてくれたまえ」とぼくは言った、「彼らがこうした束縛から解放され、無知を癒されるということが、そもそもどのようなことであるかを。それは彼らの身の上に、自然本来の状態へと向かって、次のようなことが起る場合に見られることなのだ。 ―彼らの一人が、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光のほうを仰ぎ見るようにと、強制されるとしよう。そういったことをするのは、彼にとって、どれもこれも苦痛であろうし、以前には影だけを見ていたものの実物を見ようとしても、目がくらんでよく見定めることができないだろう。 そのとき、ある人が彼に向かって、『お前が以前に見ていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、お前は以前よりも実物に近づいて、もっと実在性のあるもののほうへ向かっているのだから、前よりも正しく、ものを見ているのだ』と説明するとしたら、彼はいったい何を示して、それが何であるかをたずね、むりやりにでも答えさせるとしたらどうだろう? 彼は困惑して、以前に見ていたもの[影]のほうが、いま指し示されているものよりも真実性があると、そう考えるだろうとは思わないかね?」
「ええ、大いに」と彼は答えた。
44 Humpty-Dumpty: 1。マザーグース童謡集 (Mother Goose) に登場する擬人化された卵で, 大きな卵に顔と手足をつけた姿に描かれる; 塀の上から落ちて割れてしまう; Lewis Carroll の「鏡の国のアリス」 (Through the Looking-Glass)にも登場する; 2。一度損じるともとどおりにならないもの。新英和(第7版)・和英(第5版)中辞典