『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
こうした記述のどれもが合理的なあるいは客観的なものではない。それらの多くは丹念な視覚現象を伴っているけれども、どれも、何かを見ていることを第一にしているのではまったくない。そうではなくて、それらは根本的に「何かになること」、あるいは少なくとも何かと意思伝達をしていることをいっているのである。で、私の要点ですか? それは直ぐに答えましょう、このように: 理性と対象物の構造は崩壊して、どうやら、共鳴とエネルギーのネットワークに新たにおきかえられる、と。この『共鳴』は一種の、最も深遠な種類の知ることでもあるが、我々が普段言葉や文法を使って話している様な類いのことではない。エネルギーパターンあるいはエネルギーの存在と共鳴することはそれをイメージとか対象として離れた所から見ることではない。それは一種の相互に『同調』することあるいは相互に『楽しむこと』である。それは「なること」である。それは「一つの存在で存在すること31 」である。
31 訳註 これは体験しなければ分らない文章だと思われます。私がその経験をしたと、決して主張するのではありませんが、何かしらの神秘体験をしますと、この文章の意味が分かる様に思います。自分であって自分ではなくなる経験が何度もあるのです。