『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
ついでながら、罪の重荷、それがあの蜘蛛の真のメッセージだったのであるが、それも含めて捨て去らねばならない: 愛を抱きなさいそうするとあなたの罪はあなたを許すでしょう。
この時点で、わたしは動物と植物、そして、特に、猫について一言いっておこう。私が嘗て自分の体から十分意識を持って首尾よく離れた時―私の思うに、プラズマになった時―私は自分とアンがベッドに寝ているのを見ることが出来たばかりか、キャビンの壁を通り抜けて中庭に移動することも出来た。私はすべての物が―樹々、初冬のみすぼらしい草 (1987年の10月だったと、信じている) は青い、非常にソフトなちらちらさせている光で覆われていた。私はこの光は生きていたと考えている。それ (樹々や草を覆う光) は、これらの樹々や植物が死んだ後も生きたままになると思っている。私は、それが非物質的な生命の広大さの一部であると理解している。
我が家の猫達はその夜はそこにいなかったが、もし居たならば、彼らはベッドにある私の肉体ではなくて―プラズマになった私を、どちらも正しく見ていただろうことは、私は殆ど疑いを持たない。彼らはどうも魂の生命に感じるらしい、猫達は27 。おそらくそれが、何故エジプト人達が猫の多くを他のどの動物にもましてたくさんのミイラにして残すほどに非常に彼らを崇拝したのかの理由であろう。エジプト人達は、死者はその体を死後一種の焦点として使うことが出来ると信じていた―終わりの時に体は「腐らずに立ち上がる」のだという信仰形態で西洋に引き継がれた伝承になっている。エジプト人達はミイラをつくった、自分達は朽ちないのだと。しかし猫も朽ちないのだ。生き物の世界の真の豊富さに我々が見えなくなるにつれて、我々は動物達の霊的生命が背後にあるというような考えを捨て去ってしまったのである。クーは、私の思うに、同意しないだろう。我々人間が自分達の道を見失ったと、クーが考えたのは間違っていない。もっとも、我々全てがそうだ、というのではない。多くの年配の人達はいまでもあらゆる生き物には霊魂があると考えている。彼らはこの世界を神々に―即ち、我々が意識を持つものと呼ぶものに―全てのレベルで授けられた存在であると知覚している。
27 訳註 私もそう思いますし、猫の敏感さには色々経験させられています。例えば、前に書きましたが、私が霊的状態の体になる瞬間の前にそれを察知して、人間の目には見えない存在 (Whitley さんの言葉では、プラズマ)に全身の毛を逆立てて身構える姿勢をとった愛猫のビチ(12才で死んでしまいました)。ビチのことでは忘れることの出来ない私のとったその親猫に対する非道さがあるのです。それを話すと長くなりますのでここでは省略いたしますが、親猫は自分の産んだただ一匹の猫 (ビチ) の命を救う為に車に飛び込んで自殺したのですよ! 本当です。当時住んでいたマンションの前の国道を走る車目がけて飛び込んだのです。自分の産んだ子供を救ってくれと、私に訴えるために、自分の命を引き換えにしたのですよ!!このことは、私があの世に帰った時に、真っ先に親猫 (やはりビチと名づけていましたが) に手をついて詫びるつもりでおります。ああ、自分が恥ずかしい、本当に私は猫にも劣る非道なことをしたのですよ。