『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
さて、私はこれについて理論化しようとしているのではありません。私がしたいことはそれをテーブルの上におくことである。部分的に、自明なことであるが、私は心の複雑な状態について話をすることになります。私は時間の外側で起きる記憶を述べているのかもしれません―実は、だから記憶ではなくて、我々の現代の言語でまったく説明出来ない、時を超越した経験を表現する方法を現代語は何も提供しない類いの光景の状態なのです。
もしかしたらこの時を超越した存在と実際に語りあって意思伝達をする為には、もっと精巧な言語、現在形、過去形、そして未来形の動詞のみならず永続形の動詞を識別する言語、が必要かもしれない。そのような動詞は、行為をそれが続いていることから描写するのではなくて、それを眺めているしかも強く見ている側から描写するのだろう。それらは、丁度伝統的な動詞が時制で注意を払っていると見せかけるのと同じようにこうした時間超越時制で注意を払っていると見せかけているのだろう。そんな単語は生まれるだろうが、それらは新造語としてではなく、必要から言語に入ってきても、有機的でなければならない。私のベッドの脚下に座っていた異様な男性と交流していた時にそのような言語が私に使えたのだったら、私は思い通りに彼と関わることが出来ただけでなく、彼の思い通りにも関わることが出来ただろうか?