『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
歴史には例外があったのは、勿論である。私が考えているのは、中世の、自由な精神運動のような伝統についてである。その伝統は、儀式の上での裸体、自由恋愛の実践、そしてオルガスムを神秘的なエクスタシーに昇華することを目指すことを含めて、多くの、過度の霊的さや過度の性的さを持つものとして知られた (あるいは知られていると云われた) が、少なくとも異教の記録によれば 性交を『パラダイスの歓び11 』と呼んでいた。私はまた William Blake の様なもっと現代的な人物について考えている。 William Blakeはロマン派の詩人・画家で、巨大な男根像を愛撫する天使と神聖な礼拝堂を女性の膣の中にある様に描いた。あるいは私は、フランス人古生物学者かつ神父である Teilhard de Chardin のことを考えている。彼は、宇宙の進化を何十億年にわたって広がった神の化身と見て、キリスト教徒のカップルが二人の異性愛の性行為の中で神 (a God) の愛に出会うことが出来る日を夢想した。
しかしこのような驚くべき考えはすべて効果的に疎外されたか抑えつけられた。だから、嘗て私に Teihard の本を1960年代と70年代の初めにカトリック神学校の書店で修道士達がどのようにして売ったかを話してくれた親戚の修道士のユーモラスな私の記憶になっている。そのような本はすべて信じられないほどにポピュラーになっていたがローマ教会の眉をひそめられることにもなったので、修道士達はそれらをカウンターの下に隠して熱心な読者には茶色の紙バッグに入れて手渡したのである―完全に (異性愛の) ポルノ写真の様なものはその当時は薬局で売られていた。これが、霊的にされた異性愛とか性的に活動する進化的な神秘主義は一神教の世界ではどうなるか、ということである: ポルノ写真=異教=ありえないもの、であると。
11Wilhelm Fränger, The Millennium of Hieronymus Bosch (Chicago: University of Chicago Press,1951, 104頁