『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
Forbidden Fruit, Forbidden Knowledge
今の文化の前の人間文化はたいてい性的関心を神聖なものと理解していた、即ち、その中にものすごく恐ろしい神性を経験した文化なのである。多数の伝統ある文化はさらに先をいっており、それを人間を神として崇める手段とみた。信じる、あるいは信じないにしろ、西洋の一神教である聖書神話の土台になっている事例がここにある、楽園にいたアダムとイヴの物語がある。
それに戻って読んでみられたい。その物語は一つの話の中に 2 本の許可された樹―神と悪魔に関する知識の樹と生命の樹―を明確に結びつけている。神と悪魔に関する知識の樹からその果実を食べると直ちに性的恥ずかしさが生まれ、若いカップルはそれを味わった後に自分達の性器を覆い隠す。『食べること』即ち『知ること』(これは『セックスをすること』に対する聖書の婉曲的表現である) はまたその罪に見合う罰をもたらすことになる、真の聖書スタイルになって。そうしてイヴは出産を経験することになり、それが原罪の直接的結果であるが、アダムは野原で苦労をしなければならないことになり、耕し、種を撒き、下肥を施すことになる。この古代農業に出てくる言葉の『耕すこと』、『種』、そして『下肥』は男 (雄) を連想させる相当性的な暗喩になっている。