『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
例えば、 Communion やそれと同じ出来事が引き続いて起きたことに関する彼の後のノンフィクションで物語られている事件の歴史の前後関係を熟慮されたい。それらの出来事は情報を持たない読者には完全に異例である、全く不可解そのもの、と思われるかもしれないが、それらは歴史的な事実の中に於けるほんの何かである。我々が大きな絵または小さな絵を注意深く見ると、非常に違ったイメージが我々の比較スクリーンに現れる、まるで何十万ものちっちゃな画素がフラットなテレビ画面に点いたり消えたりしてチラチラ輝いて明確で、実に不気味な、姿と物語を表わしているみたいに。
まず、そのテレビから少し下がってみよう。後ろ向きに。当然、訪問者達は全く異例なものではなくなる。それらは宗教史全般において『無数の』前例がある。でもそれは控えめな言い方だ。私は、宗教史全体を次の様に纏めることが出来ると主張しても余りにも単純化したことにはならないと思っている: 空からの不思議な超存在者が、人間と交流する為に下りてくる、人間に文化、技術、法律、そして倫理の知識を提供する、人間を指導する、人間を気絶させる、人間の服従と忠順を要求する、人間と (しばしば力づくで) セックスをする、そして一般に人間を、威嚇し、畏怖させ、困らせ、霊感を与え、使う。宗教の歴史は Communion の中に最も広い関係と根本原理がある。そこには異例なあるいは無意味なものはなにもない、勿論たとえそれがすべて『我々の』現代唯物論者の記録や仮定、まったく最新の結果で非常に暫定的な理論、ではあり得ないことだとされても、である。