『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
その夜の後だった、私の記憶の奥のどこかに多分まだ残っていたコボルドの目撃によって、私が次第に理解が増して来て1985年11月27日の朝に意識の中にほとばしり出ることになる恐怖の旅を次第に始めることになったのは。
何年もに渡って、その夜の思い出はそれらがほんの少しずつ思い出されるという事実によって複雑になってきた、だから、その直後の数日に思い出した正確なことと、もっと後になってはっきりしてきたこととの間を正しく分けることが出来るとは実のところ自信はない。部分的には自信がある、何故ならばそれは構造的に通常の経験とは非常に違っていたからであり、心象の非常に多くが極めて新奇だったからだ。
私がここで行おうとすることは、その記憶からコボルドに関する特殊な記憶を引出すことである。何時の時点でそのような記憶が私の心に入ったのかは正確に完全に言うことは出来ないが、それらは、これらの経験のそれ以外の記憶と同じ特質、通常の夢とするには余りにも自己組織化していて生き生きしているが、我々が現実の記憶と通常考えることに比べて、明確に表現出来ない特質を持っている。
私が言及しようとする特殊な記憶は、コボルトの一群によって窓の方に運ばれた―というより、手荒に扱われた―ことについてである。その経験は、それによって私がびっくりさせられた意識をもたない、というよりもそれを無視して眠りに戻ろうとした夢とするに十分な情態の夢だった。
私は物理的に家から運び出されたのだろうか7 ?
7 訳註: 木村秋則さんはこう語っている:
『何で目が覚めたのか分らない。目が覚めて、ふっと外を見たのな。そしたら、畑で見たあのふたり。やっぱり、目がぎょろっと光っていた。4つな。だから、ふたりだと思う。2階なのに、あいつらは宙にういていたのな。はしごなんかなかったのにな。』(鍵のかかったサッシが自動的に開き)『そのふたりは、私に近づいてきて、拉致するみたいに、両脇をもって、外へ連れて行こうとするのな。もがこうとするんだけど、すごい力だから身動き出来ない。そこで、記憶が途切れてしまったな』(小原田泰久、「木村さんのリンゴ 奇跡のひみつ」110頁からの引用)
さらに詳細なことは、数冊ありますが、木村さん自筆の著書『すべては宇宙の采配』をお読みください。科学者必見の記述ですよ!