『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
Producer or Reducer
このように心は脳を超越して存在する (脳がなくても心は存在する) というのは、明らかに人間の歴史を通して唯一つの中心的な宗教問題であること即ち『死ぬ時我々に何が起きるのか?』に対して真の意味合いを伝えることになろう。
私の思うに、それは完全に、我々が『我々』と云う言葉によって何を意味するのかに、依存しますね。我々がここで The Human as Two と言っている時はその『ダブル』のどちらを言っているのか、ですか?
それは実に簡単ですよ。もし心が脳の産物なら、その心は脳が死ぬ時消え去りますよね。それで終わりということですね。しかしながら、もし人間の脳が、高度に進化したレシーヴァー、変換部署、あるいは、我々が自己即ち自我(それは心の製作者でもないもの)だと理解している文化的かつ主観的容れ物に、心を制限し、還元し、そして形作るところの神経のローカルネットワーク、そのようなもの以上のものだとしても、脳が死ぬ時には、その自己は消え去るようで消え去らない (即ち、それは暫くの間脳のまわりにくっついているが、やがて消え去る)、しかし心が消え去ることはないのは殆ど確実なのである。精神としての心は、結局、一個人の脳死には完全に影響されないのである、それはインターネットが、ラップトップを切ってもあるいはそれを水泳プールで「溺れさせても」、ほんの少しでも影響されないのと全く同じである。
従って、問題は以下のことになる: 脳は、意識の生産者なのかそれとも意識の変換器なのか?