『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
Otto は非常な長文で、主に聖書を素材にして、この神聖なエネルギー即ちエイリアンの存在することは肯定的または否定的、あるいは肯定的かつ否定的であるように経験されるかも知れないことを示している。神聖なものは実際に生理的、情緒的、そして霊的な、全範囲に渡る反応をもたらすかも知れない: 恐怖と予知、畏怖と神秘、薄気味悪さ、戦慄、崇敬と崇拝、エクスタシーと神秘のものとの合体。天使は神聖なものの表現であるが、悪魔と表現されることもある。
Otto はカントの非常に熱心な信奉者だった。彼は、人間は一般的に神聖なものの存在にそれが実際に真実そのままの姿に直接アクセスすることは出来ない、と考えていた。むしろその神秘の存在は、人間精神のカテゴリーやその機能を決定するところの文化によって、常にフィルターをかけられて形づけられている、と考えていたのである。Otto は、要するに、カットを入れていたのである、しかもフッサールと同じ時代の頃に。
これは貴方には不必要な会話の様に思われるかもしれませんね。またカットを入れるなんて容易く出来るのは当たり前のようにも思われるでしょうね。しかしです、実際ここの話は、極めて重要で必要なことなのです、大抵の人ではないとしても、多くの人はこのカットを入れるのは出来ないのです、特に、宗教現象のことになる時は。多くの人は自分達の信じている物は実際に存在するものだと固く信じている; 即ち、特別な経験あるいは地域社会の中で現れたものと、現実のケースかもしれない、あるいはそうでないかも知れないものとの間にカットを入れることが出来ないのである。なお、彼らは、自分達の文化や地域社会の宗教経験を共感して理解することが出来るだけである。だから彼らは神聖なものの出現を、例えば、エイリアンとか悪魔の出現と扱おうとするのとは全く違った仕方で、それは天使の出現だと言い張ることになる。「彼らはカットを入れることが出来ないのである。」