『The Super Natural』A new vision of the unexplained の翻訳 |
古代の聖書の世界観は精霊や悪魔が襲ってくるという考えに支配されていたが、その考えがその当時病気や精神病を説明する基準として機能した。したがって憑依が病の原因であると理解されて悪魔払いがその治療だったのである。さらに問題になるのは、そのような悪魔が『宗教を比較する』という初期キリスト教の実習に入ったのである。これら初期の民衆文化、他の人々と文化にある神々、の比較実習は本物の神々即ち何かもっと偉大な一つの神を真剣に幾つかの形で表現したものではなかった。その神々は恐ろしい超自然力を持つ魔神だったのである。決して邪悪な神というのではなかった。ところが、キリスト教の中で、それらは邪悪な悪魔となったのである。こうして、このような邪悪な神とする読み方が、病気と精神病の見解を破壊的なものとする感情に相応しい見方にさせたのである。しかし、それらはまた他の宗教社会を文字通り悪魔と看做す手段と機能したのである。他の国民の宗教経験を同様に悪魔的にみる読み方が、後の歴史上の誤り、ヨーロッパや植民地アメリカで行われた現代の魔女狩りのような誤り、に導くことになったのだろう。
不運なことには、これは全く誇張ではないのだ。
以上そうは言っても、Reductive comparison と Religious comparison はいずれも魅力的で実際に特別な内容では我々の手助けとなる面もあるのである。