HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#533 |
早い段階からマヤの天文学者達に関して関係こそが重要なことなのだと云われていた。太古の宇宙 (universe) ではすべてのものは緻密に予測される為にサインがホログラムに記され、それが互いの特徴になっていた。これはまたピタゴラス学派の哲学でもあり、それは、今一般的に使われている言葉とは違っているギリシャ語・ラテン語の古典語全てを統括した。このことは現代の批評家 ロランバルト80 の「Le degré
zero de l’Écriture エクリチュールの零度」において鋭い洞察で指摘された。『古典語の簡潔さは』と彼は言い始めて『合理的である、そのことは、簡潔さの中に言葉は、関連が分るようにするために出来る限り多くのことが、抽象化されていることを意味する・・・単語にはそれ自体では密度を持たない、殆ど物の印にもなっていないが、むしろある関係を伝える手段であると云える。』と述べている。今日、現代詩の目的は既に因習的に同意された関係を定義するあるいは修正することではない; 謂わば、古典的なニュートン物理学の世界から原子以下の素粒子の確率論で判定されるランダムな世界に転送された感じである。これの始まりはセザンヌ81 に、ランボー82 に、マラルメ83 に感じられた。それは形式と『言葉の爆発』である、解放された言葉、独立した対象―「はっきりしない印」の列になっているために、繋がりのないのが不思議な、統制のない、きちんと整ってないままのもの。この新しい詩の言葉の中断された流れは、バルトの注意によると、『バラバラになっているだけと表現されるしかない、不連続な自然を創始している。』自然は『孤立した凄まじい事物から造られた「バラバラの空間」になるのである、何故ならばそれらの間を結びつけるのは単に可能性があるというだけだからである。』さらに言えば、それらは気まぐれな存在なのである。それらは往古の portentum 怪物・予兆(予言)の性質を持つと思われている。それらの結びつきから引出される唯一の意味は、それらは、それらを作った者の心と同じであるということだ。その存在者は退位している、あるいはこの世の終わりの恐怖で萎縮しているのである。芸術の中で我々は、「無定形」または『形の分解』、視覚詩84 や現代音楽における『支離滅裂の勝利』、こういった言葉が使われていることは知っている。新たな統合は、もし何かがさらに起きるとしたら、それは水平線のかなたにあるのだ。
80《1915-80 ; フランスの批評家記号学者》研究社新英和大辞典第6版。以下はウイキペディアからの引用: シェルブールに生まれ、バイヨンヌに育つ。ソシュール、サルトルの影響を受け、エクリチュールについて独自の思想的立場を築いた。 歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、「作者の死」の一編を収めた『物語の構造分析』、フランスのさまざまな文化・慣習を分析した『神話作用』、衣服などの流行を論じた『モードの体系』、バルザックの中編を過剰に詳細に分析した『S/Z』、自伝の形をとりながら自伝ではない『彼自身によるロラン・バルト』、写真に対して抱く、感動に満ちた関心の中で道徳的、政治的な教養 (文化) という合理的な仲介物を仲立ちとしている、いわば教養文化を通して感じられる「ストゥディウム (studium)」、そのストディウムをかき乱し、印象に残る細部として表象される「プンクトゥム(punctum)」という二つの概念で論じた遺作『明るい部屋』など、その活動は幅広いが、一貫しているのは、文学への愛(『エクリチュールの零度』、『物語の構造分析』など) と文学作品や映画、演劇、写真などによる作者の主体として発信されるメッセージに対して、そのメッセージの受信者である享受者のメッセージの受け取り方の解釈の可能性についての考察 (『明るい部屋』、『神話作用』) である。
81《1839-1906; フランス後期印象派の画家》研究社新英和大辞典第6版
82《1854-91; フランスの象徴派詩人; Une Saison en Enfer 「地獄の一季節」 (1873)》研究社新英和大辞典第6版83《1842-98; フランスの象徴派詩人; 「牧神の午後」 (1876), 「骰子 (さい) の一擲 (いってき)」 (1897)》研究社新英和大辞典第6版
84 《文字語句読点などの印刷形式や語句の配列などを工夫してページ全体を図案化した現代詩。研究社新英和大辞典第6版