2016年 01月 28日
『THE KEY』 の翻訳(再掲訂正版)#18 |
#18
5 APPENDIX
2001年、私はやっと「万能マスターキーを持つ方」の言葉を文字に起こしてそれらを自費出版、私の WEBサイト、Unknowncountry. com でのみ発売の形で刊行した。数年前、私はその小版を売りつくして、数百ドルの値のついた古本が売られているのを見るだけになった。そこで、私はそれを再度出版することにした。この新版のために今旧版を廃版にしたところである。10年間の間この「The Key」に力を注いできたので、それに関して自費出版した時には私に明らかでなかったことについて言うべき幾つかの有用な事柄があると思う。
しかしながら、旧版は今となってはリプリントされることはないだろうから、旧版のフロント FOREWORD とバック AFTERWORD はこの版に含めるのが重要であると強く思っている。それで、私はそれをここに提供することにする、完全に旧版の印刷の形で。
5・1 THE ORIGINAL FOREWORD
The Master of the Key
何かが私を邪魔している、私を深い睡眠から浮かび上がらそうとしている。意識が戻ったとき、誰かが私のホテルの部屋のドアーをノックしていることに気がついた。私はまごついた。その時、トレーを取りに来たルームサービス係に違いない、彼は多分そこに長い間いたのだろうと合点した。急いでドアーの所に行き、「真に申し訳ない」と言いながら、ドアーをさっと開け放った。
黒い衣服を着た小さい男性が入って来た。その顔はかなり角張っていたが、それを除いては、十分普通に見えた。
私が深い睡眠下の時に、ノックが始まった。一日中私は本にサインし続けてメディアの体裁をしていたが、気持ちよく疲れた。私の本「Confirmation 」の著者ツアーの最後の日だった。その本は、地球にエイリアンがいるのは十分あり得ることを示す物質的証拠を確認するための努力とそしてまた何故それが秘密になっているのかということが書かれたものである。
私の五感が戻るまでに、彼はずっと部屋に入っていた。明らかに、この男はウエイターではない。私の著者ツアーの間には、こんな事件が2、3あった。例えば、シカゴでのことであるが、私の部屋に賄賂を使って入っていた婦人が、私がテレビを見ている間、クローゼットから私に向って激しく非難を浴びせた。私は、助けを求めにパジャマズボンで60階もあるホテルの受付まで下りていった。
彼は今や窓を隠したカーテンを背にして立っていた。彼はちょっと微笑んでいた。私は走って出ようかと考えた。ドアーは私の背後にあった。全く容易に逃げることが出来ただろう。
その時、彼は語り始めた。息もつかず一気に語った。彼は私の名前を言った。私は、ぶっきらぼうに、腹を立てて、応えた。どうやって彼は私の部屋番号が分ったのか?誰かから聞いたのか?これに答えることはなかった、ちょっと困ったようにすこし微笑んだ。
私は出て行くよう、要求した。彼は両目で懇願した。その表現は、私を躊躇させてその侵入者を見詰めさせるほどに、とても純粋で正直、それでいて十分ユーモラスだった。
彼はチャコールのズボンとダークグレーのタートルネックを着ていた。頭の縁回りは白髪、鷲鼻。灰色がかった青白の肌、鋭い顔つき。老人のようだ。彼は何かしらキラキラ光っていた。
彼の表情にある落ち着き、幸せ、そして深い、深いユーモアのコンビネーションを書き表す方法は何もない。実際、以前にも以後にもこれほどにくつろいだ、平和そのものと言った顔を見たことはないと思う。それには、不可解な静けさもあった。死体の顔だったということが出来る。しかし、それには恐ろしいことはなにもなかった。それどころか、もし彼が死んでいるのだったら、彼の顔は、彼が幸せに亡くなり、亡くなる最後のときには秘密の喜びの匂いを残して逝った、と言っていると、私は思うだろう。
彼は再び私の名前を言った、「Whitley 」と。まごつかせる親しみだった、あたかも、私が何年も離ればなれになった後に親愛な友人に会っているみたいだった。しかし、彼を以前、見たことを思い出すことは出来なかった。決して出来なかった。それとも思い出すことが出来るのだろうか?私の最初の質問は、「誰かね、君は?」だった。
彼は目の中から私を見詰めた、顔を面白さできらめかしながら。それは、『君はそれを知ってるよ。私が誰であるかを完全に良く知っているよ。』というそれ以上は明らかにすることが出来なかったのであろうメッセージだった。混乱と困惑で体の中を衝撃が走り抜けた。そのとき私は、まるで旧友が舞い戻って来たが彼が誰なのか分らないでいるように、感じた。
それから、私は「おたく、何故出て行かないの?」と訊いた。
彼は背中を後ろに傾けて、適切な答えを考えているかのように天井を見上げた。それから彼の目と私の目が合ったが、私は、この男性が何か非常に神秘的な人であることを知るようになった。彼がそんな風に私を見るときは、彼には異邦人の趣があった。それは、別世界からの誰かのように見えるというのではなかった。そんなことは殆どない。彼がこれ以上に普通の人であることはあり得なかった。
いや違う、それ以上に名状しがたい人だった。彼の身辺に支配力が漂っている感じだった。彼の動きの正確さとスピーチの抑揚は申し分なかった、それらは極めて完全に思われたのである。正しく完璧。後で、我々が知能を持つ機械について話し合った時、私はその神秘さの感覚を再び味わうことになった。
彼は私の質問に答えた。こう言った:「皆さん地面に繋がれていますね。」
彼の言葉は不意に力強く響いた。ひょっとしたら、彼がそれらをそんな風に、超正確な発声法、完全に自己確認した口調で、語らねばならなかったのかもしれない。しかし、私がそれらを聞いた瞬間は、それらはちょっと本当ではないが、普通よりはもっと大袈裟には本当かなと思われた。私は空恐ろしい主張があるのを感じた:地球は監獄である。我々は在監者であるという主張。
私は、普段の自分になろう、これは普通の出会いだと思って振る舞おう、と努めていた:彼は、厚かましくも夜中の中頃に私を急襲しに来た、いささか熱狂的なファンなのだ。よーし、彼にはユーモアで対応しようと。「すみません、何のことでしょうか?」と訊いた。この馬鹿げた『地面に繋がれている』というコメントは、とにかく、何を意味したのか?これはいったいどんなナンセンスなのだ?
彼は、「私はね、善人の為にここに来たんですよ。お願いだから私に少しお時間ください。」と言った。彼の言い方の『善』という言葉が、私の心の中で感情の詰まった水素爆弾のように爆発した。それは全く音声というのではなかった。それは、彼がそれを発したときの彼の顔に広がり溶けた表情、私がまさに渇望する力強いかつ全く完全無欠な愛の表現だった。私は夢中になった。これは普通の会話ではないだろう。黄色いパッドを取り出してノートを取り始めた。今では私がそうしたことを神に感謝している。何故なら、彼の語った多数の考えは息を呑むくらいに新しく、私自身の心よりももっと大きなスケールで明らかにしたからである。そういうものだったから、正確に覚えることは極めて困難であることが分るだろう。ノートはそれほど多くなされているのではない、しかもたいていは関連あるようすら思えないが、それらの記憶を助ける力は、彼の大きな分りにくい思想の多くを、私が呼び起こすのに役立ったのである。
その後、彼と私が共に過ごしたのはおよそ30分だったといってよいだろう。しかし、一旦我々の会話が文字に起こされると、会話に費やされた時間はもっと多くの時間であることが明らかになった。彼は、少なくとも2時間は私といたに違いなかった。
この男性が言わねばならなかったことが、非常に深く、根本的に新しく、そして豊富に織り込まれているので、彼が実在したのかしなかったのかに関して証明不可能な主張を、私がする必要はないと思う。
我々の問答が進むうちに、神の新しいイメージが現れた。それは殆ど、まるで私が聴いている言葉が我々のいた部屋に神を出現させる力を持っていたかのようだった。問答を読んでいると同じ感覚、まるでそれらの言葉の中に誰かが住んでいるかのような感じになる。
その訪問者は人間ではなかったと私が思っている、と言っているのではない。彼は確かに人間に見えた。私の知っている全ての人のために、彼がある時点で自分は税金を払わず運転免許証を持たないカナダ人であると言った、カナダ人にすら彼はなったかもしれない。私は、彼が、これまでに遇ったうちで最良の精神を、遥かに、持っていたことは、実に良く分る。彼はまた、私が知った一番情緒の活発な人であった、また言うが、遥かに。彼は生き生きしていたけれども、彼は命について通じているのと同じように、我々が死と考えているものにも詳しくかつ容易く通じているように思われた。私のこれまでの人生の中でまさに一番強烈な経験になっている信じられない感激に浸った時間があった。とりわけ、一緒にいる時間が殆どなくなる最後の瞬間がそうだった。
彼は去ってゆきながら、私に白いリキッドを飲むようにと言った。私がそうしますと言えばおとぎ話みたいに思われるのは分っている。しかしその時は、以前にもそうしたことを十分よく思い出した。私の前の人生で彼に2度会った記憶を思い出した。実際、これらの会話から私が思い出すちっちゃな断片は、それらが、私がまさに存在する意義の含みの部分である、ということを示唆する。私の思想、私の信条、人生で私に意義と重要さを持つもの、こういったものの非常に多くがそのような断片から生じている。そして今もなお、時々それらを思い出すだけが出来るのであり、しかもその時は最も短い断片、言われた一つの単語、一つの顔の表情、その瞬間の何か小さな香りといったものの中だけに思い出すことが出来る。
そのリキッドを飲んだ後は、翌朝まで何も覚えていない。目を覚ました時、直ちに3つのことをした。まず、私のノートを探した。それらはそこにあった、ベッドの側のテーブルの上に置かれたままだった。次に、浴室に入っていった。おそらくあの白いリキッドが少しはグラスの一つの底に残っているだろうと思いながら。しかし、グラスはすべてシミはなく綺麗だった。
次に、妻に電話を入れた。
彼女に何か言うことがあった、しかもそれは緊急を要するように感じた。彼女が電話に出るや否や、私は訪問者の話を物語った。私が言うと思ってもいなかった言葉が、その時、口から飛び出した、「彼は現実ではなかったとあんたに言う時がいつか来る。彼が実際にいたことを私が決して忘れないようにしてくれ。」と。
私は仰向けに寝転んでノート全体を見た。そんなにたくさんはなかった。実際、思っていた程ではなかった。それでも、それらには神秘的な質のものがあった。まるで、単語一つ一つが私の心に流れ出る満杯の泉を作ることが出来るようだった。
会話の多くは、全く明瞭に思い出した。だから、それを読む人は、その理由が分るだろう。ホロコーストについて、宗教について、魂の真の性質について、彼の語ったことを忘れる人は何処にもいないだろう。
その朝は私はとても幸せだった。私の1985年の近接遭遇(close encounter)の間に私が出会った女性が、「あなたは幸運な人のなかでも一番幸運なのよ。」と言ったことを思い出した。
トロントからサンフランシスコへ帰宅の旅のためバッグを詰めたとき、確かにそんなふうに感じた。私の心に喜びの小さな爆発がおこったままだった。この貴重なノートをブリーフケースの内側のポケットに入れた。私のプランは、家につくこと、すべてをタイプに仕上げて数ヶ月中に新しく本を書くこと、だった。私は真実の贈り物を手渡されたのだ。
そのプランは私の夢になった。今や2000年の12月である。私の人生で最も困難となった著作の取り組みがやっと終わった。初めは、記憶は素早く容易に蘇った。そのうち、20ページになり、それから30ページにと。しかしそれから、私は不安になり始めたのである。
彼はいなかったのでは?私のまさに空想だったのでは?その素材は神で満ちていた。それは、神の新しいイメージ、精妙で強力なそして全く信じられないほどのイメージを含んでいた。歴史と宗教を再定義した。生と死の間の幕を上げて我々は死者達と意思伝達を始めることが出来ると告げた。さらに、それは、その方法を全く正確に伝えていた。罪と祈りそして人間の神との完全な関係を再定義した。
もしも、それが私にだったのならば、それを出版しようとどうして敢えて考えるだろう。自分の魂の上にそんな嘘の印を付けて死ぬなんて出来っこないだろう。さらにその時にこう思ったのである:それは、罪について非常に関心がある罪について彼が言ったからだ、と。
私はカソリック教徒に育てられた。告白に行きそれを忘れろ。そして神の許しを信頼しろ。しかし、あの人が罪について話した時は、あの人はそれを嘆いたりとかそれを警告するとかは全くなかった。彼が言ったのは、それが何であるか、何故それが悪いのか、そしてそれが人に何をするのか、ということだった。私が、彼は現実の者ではないかも知れないことを、承知したかあるいは心のどこか一番深い所で感じても、彼の説明が余りにも私の関心を惹いたので、私が彼は本当はいなかったなどとは主張しないほどになっていたのだ。
百回、私は書くのを止めた。彼はいなかったのだ。だから、私はそのような考えに彼の権威を主張出来なかった。私が諦める度に、アンはこう言ったものだ:「あなたは私に電話をして、彼はいなかったのだと自分に決して確信させないようにしてくれと、私に言ったことを思い出しなさいよ。」と。それで、私はふたたび書き始めたものだった。
これを含めて、私がかって書いた異常な経験が、夢だったとは信じていない。私には色んな世界の中で暮らすという信じられない恩恵があった。それは、我々が身体だとわかるような身体ではない人々と私の人生で多くの時間を実際に過ごしたという意味であるが。私は彼らから学び、彼らを愛し、彼らを恐れそして彼らを経験してきた。私は魂があることは分っている、何故ならば私は自分の体から完全に離れる経験をしたからである。そのようなことを個人的に経験するのは非常に大きな恩恵になった。だからこそ、私が読者の皆様にこう伝えるのは私の義務なのである:私は、信念からだけではなく私の実際の経験からも、私が書いていることは本当のことなのだと信じています、と。
我々は歴史全体に渡って、実際にはもっと大きい現実の部分を、それは『超自然なもの』とラベルを貼って拒否してきた。たいていの人たちは、心の中では恐れているかも知れないが、魂はないし、この世界以外に他に世界はないのだと信じている。我々は疑問の中で、あるいは我々が『信仰』と呼んでいる、ふらふら揺れ動く曖昧な中間の中で、死んでゆく。
私の訪問者は、一つの鍵である点、即ち、超自然なものは存在しないという点においては、懐疑論者にきっと同意しただろう。しかし、我々が超自然とラベルを貼った現実の部分は実際に機能しているという彼の説明は、本当に驚くべきものになる約束を将来のために提供している。彼は、ことわざにある未発見の国のドアーを開けて、我々に入るよう招待している。というのは、彼の言うことから、我々が原子科学をマスターしたのと同様に全く確実にマスター出来る強力な魂の科学が存在することが極めて明らかになるからだ。
我々はこの科学から目をそらしてきた。しかも、そんなものは存在しないと、嘘ぶいてきたのだ。我々がそんなことをしてきたのは、向こうにある圧倒的パワーの世界から我々自身を隔離するためなのだ。
彼は我々に挑戦と約束を持たせて去っていった:我々は、そのような他の世界の現実を直面し、それを探知できそれと意思伝達をし、そして今それについてのヴィジョンを漠然たるものにさせている否定と虚偽の幕の向こうを見る事実を甘受する時に、なっていると。
最終的には、彼はもしかしたら死んだ人かもしれない、この危険な時代に預言を達成する為に来たのかもしれないと私は考えた。もしそうならば、彼は使者である。何故なら彼の言ったことは我々自身と我々の回りの宇宙の理解に革命を起こすことになるからだ。我々は根本的に重要な発見をしようとしている:魂の科学は現実にあるというだけではなく、検証可能な科学開発に近づくことが出来るということを。実際、科学的な方法が、魂を特定する努力をして成功するのに必要不可欠になるだろう。科学、今理解している我々の科学は、生者と使者の間のカーテンを裂くことが出来るのだ。こうして我々は、この世界よりももっと大きな古代の世界と真の関係を持つことが出来る。その古代世界は我々が決して去ったことはなく、我々が宇宙と呼ぶこの世界のちっぽけな片隅に退却しているだけであり、極めて大きな本当の我が家・故郷なのである。彼は我々にこう挑戦させたのだ:仮面を落とせ。君たちの本当の姿、天国のワクワクする道を歩く能力を常に持った生き物であること、を直視せよ。但し君たちにその勇気がある場合に限り。君たちにその勇気がある限り。
by bbex243054
| 2016-01-28 15:41
| 科学
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