HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#454 |
賽は投げられた64 。ギルガメッシュは着替えをさせられる、そして家に帰るよう言われる;Urshanabi、船頭、は彼を護送するよう命じられる。ゆえに、再び彼が pĩnãrãti に、河口に戻ることはないことになる。しかし最後の瞬間、Utnapishtim の妻は夫にこう言う:『ギルガメッシュはこちらに来たのよ、疲れ果ててるわ、彼努力したのよ、貴方は彼が元の国に戻れる為に彼に何をお与えさなさいますの ?』Utnapishtim は英雄に同情してこう述べる:
ギルガメッシュ、私はお前に隠していることを明かすことにしよう · · · 茨のような植物がある · · ·。バラ(?)のようにその茨はお前の両手を刺すだろう。両手でその植物を手に入れたら、お前は新しい命を得ることになろう。』(11.264-70)
「新しい命」は誤解を与えると思われるが、Speiser はこう注意している:『その変化は若返りであって、不死になることではない65 。』
Apsu に通じるトンネル、それは自分で開けねばならないが、そのトンネルの中でどうやら育っているらしい植物を手に入れる為に、ギルガメッシュは石で体に錘をつけて深く潜る。しかしその時は船頭と一緒に我が家への旅をしていたので、止まってある井戸で水を浴びる、すると一匹の蛇 (文字通りだと、earth-lion ) が水の中から現れ出て、その植物をひったくり水の中に戻り脱皮する。最後の望みはなくなってしまう―と、翻訳では少なくともそうなっている。
本書はギルガメッシュ叙事詩についての手引書ではないから、植物、潜水、井戸での致命的な水浴びというこの出来事全体はその通りとしなければならない、例えそれにあるどの言葉も罠にすぎなくても、ここで特別な関連をもつ核心に触れるためには。
海岸にボートをそのままにして、ギルガメッシュと船頭はさらに100時間歩いて家にたどり着いた。
彼らがウルク、囲い地、に着いた時、ギルガメッシュは彼、Urshanabi、船頭に言った:『Urshanabi、ウルクの壁の上に登って(歩き回って)くれ; 基礎のテラスを視察して煉瓦を調べてくれ、煉瓦が焼かれていないか、そして七賢人がその基礎になっていないかを!』(11.301-305)』
しかし叙事詩が始まる前に (Tablet 1, 19)「七賢人」は城壁を巡らしたウルクの基礎になっていたのである。これで話の輪が閉じられ元に戻ったのである。
しかしそれは何を意味するのか? 何故 Urshanabi が、あらゆる人の中から、7つの壁に囲まれた―ルールに従って―ウルクを捜査するように頼まれたのか? しかも七賢人がどうしてギルガメッシュの都市の基礎にならねばならないのか?
64 原文は『Les jeux sont faits.』であるが、このように訳した。
65 Speiser, p. 96, n. 227.