HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#415 |
Krates は、ホメロスは一つの球について話したのであり、彼自身その球の座標系に一番興味を持っていたから アガメムノンの守護者 (イリアッド 11.32.f.) とアキレスの守護者 (18.468ff.)56 を独自の意味で解釈するのは不思議に思わなかったことを確信する気持ちになったのである。彼はまた、オデュッセウスがキルケー島から出航して冥界に旅をしたというのは、南回帰線・冬至線から南極に旅をしたということだ、と確信したのである。この考えは思われる程には奇妙ではないのである。ゼウスは架空の「ファエトン」を投げ落とすことによって二分経線を設定して新しいskambha を導入したのである―これについてプラトンの言ったこと:『作り話の感がする・・・』が思いだされる57。しかしエルの幻視58に関して Cornford の考えもある。それによれば、プラトンの『魂達の目にする物は宇宙の実体ではなく、実際は一つのモデル、粗っぽく云って糸巻きの心棒に似た形をした原始的なオーラリ59 を見ているのである・・・』
56See Mette, pp. 30-42, and his introduction.
57 ゼウスがそこ「魔法の入口」からヘーファイストスを放り投げたという言葉使いをここで議論することは出来ない:ともかく「魔法の入口」の意味するものは何もないのである;Krates は“ bẽlos ”をカルデア語の“ Bel ”/Baal =マルドゥクに結びつけていると主張した古典学者達がいた。我々はそれ (Bel) を馭者座の戦車 (chario)、バビロニア語で narkabtu、に置き去りにしている。マルドゥクもそれを、(原初の海の化身である竜; Apsu の妻で神々の母となった)ティアマトをひっくりかえす時に使っているからなおさらである。『バビロニア創世記』は、マルドゥクが周りの人々を放り投げたとは云っていないが、Ebeling (Tod und Leben, 37f. ) によって「一種の祭日の暦」と呼ばれた楔形文書 (VAT 9947) がある。そこではこう記されている:『Bel が敵を破った17日の日は攻撃の日と呼ばれる。18日の日は嘆きの日と呼ばれる。Kingu と彼の40人の息子を放り出す日である。』Kingu の別称は「Enmesharra」、即ち「基準と尺度の君主」である;彼はティアマトの夫であった―Geb が ヌート(古代エジプトの天空神; 夫である大地神 Geb の上に立つ大気の神 Shu に支えられる; 背中に太陽の神 Ra を画いた雌牛として表される)の夫だったように―ティアマトは夫に『運命表』を渡したが、マルドゥクは勝利後にそれを彼から取りあげようとしていたものである。40という数は Enki-Ea の固有数である (次の第28章288頁を見よ)。後の残りの日の意義は容易に理解されるものとなっている。我々は、『名前』についての自分達の不適切な考え方によって、さらには、ティアマト、Kingu そして彼らの一族を『モンスター』とする翻訳者達によって天空の人物達に定着した誤解を招くレッテルによって、邪魔されているのである。。
58 プラトンの「国家」
59 《太陽惑星地球月などの運動や位置を説明するための太陽系儀》研究社新英和大辞典第6版