2015年 08月 27日
HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#149 |
翻訳続き#149
したがって、Samson の名前が極東に現れているのは多分偶然ではない。Sam-
son、『戦うSamson』には、その臼の戦いの英雄達の中で名誉ある地位が与えられべきである。彼は実際我々の文学では第一級の人物になっている。彼がいかに精魂尽き果てたかが(旧約聖書の)士師(しし)記 Judges(XVI.21)に伝えられている。捕獲者達は『奴隷になり臼挽きにこき使われて Gaza (訳註【聖書】ガザ《Samson が死んだ所; cf.
Judges 16: 1-30》研究社新英和大辞典第6版)で盲目となった』彼を、神殿で自分たちがスポーツをするために、拘束をほどいたとき、彼は渾身の力で真ん中の柱を圧し抱き寺院を潰してペリシテ人(訳註 紀元前 12 世紀ごろより Palestine 南西海岸に定住した非セム族の戦闘的な民族の人で, 多年にわたってイスラエル人を圧迫した。研究社新英和大辞典第6版)の頭の上に破片を降り掛からせた。Menja と同じように、彼は復讐したのである。
しかし Samson はこれが話題になっている国を超えて世界中の文献の中に引用されている。彼は演劇に一層深奥な概念を持ち込ませている。彼のことは次章にとっておくことにしたい。そのほうがよいと思う。
さて、次のように問うて、Sampo の不思議な物語を終えても異論はなかろう:『そのような全てのことがそれで非常に大きな意味があるのだろうか?それは文学史を超えたすべてに有意味なのか?』偉大な昔の学者 Camperetti は前世紀に難しいフィンランドの叙事詩の研究に取り組んだのだが、適切な言語学上の問題を自らに出す。その研究でホメロスの詩を理解するのに役立つことになるのか?イエス、と彼は答えている。彼はホメロス(訳註 Iliad と Odyssey の作者と云われているが、2作ともホメロスの作品か、さらにホメロスが実在したのかについて諸説ある。)は依然わからないままであることは認めているけれども。つまり、有名な『ペイシストラトス(訳註 605?-527 b.c.; アテネの政治家・僭主(tyrant); 文学の興隆に尽くした。研究社新英和大辞典第6版)によって、分散したラプソディー(吟唱に適するように一部改作した叙事詩)を集めるように指示された、オルフェウスの専門家とピタゴラス学派の専門家への委託』自体、イリアッドやオデュッセイアの様な作品について、リョンルートが出来た以上のことは、殆どなにももたらすことは出来ていないのである。ゆえに結局ホメロスはまだ生きていてもらわなければならないのである。そのことは、ありきたりな、叙事詩の特性の考えはこの比較言語学者 Camperetti に対しては全く不可解なものになっていることを示している。しかし Campererri は、そのような専門家は今日の意味の学者ではなかったのだ、神話、詩歌そして知的創作がすべて一つであった時代、彼らが行っていた時代に属する学者だったのであると即座に指摘している。
by bbex243054
| 2015-08-27 13:19
| 科学
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