2015年 08月 18日
HAMLET' S MILL の翻訳(『THE KEY』に関連して)#125 |
翻訳続き#125
以上の議論から疑問が一つ残る。Snaebjörn とは一体何者だったのか?ほんの数行でこんなにも多くのことを明らかにした朧げな人物は?学者達は探しまわって古い『Book of Iceland Settlements アイスランド開拓物語』の中に真の宝物を掘り出した。それはアメリカを最初に発見した詩人に結びついているのである。さて、その本のなかで、Gollancz はこう書いている:
10世紀の北極冒険家、Snaebjörn という名前の人物の生き生きした姿が描かれている。彼は血族の美しい女性を殺した者に復讐を果たした後に、その時代の騎士道にかなった紳士になったが、未知の国『Gunnbjörn Reef』を見つけるために危険な探検を続けた。この Snaebjörn が詩人 Snaebörn と同一であることは一般に認められており、疑いをもつことは殆どできない。
彼の家族史は興味のないものではない。彼の偉大な祖父、Erwind the Easterling、そう呼ばれたのは彼がスエーデンから ヘブリディーズ諸島(訳註 スコットランド西岸沖の列島; 面積 7,567 km2, 本島に近い Skye, Mull, Colonsay, Islay, Jura, Rum, Tiree, Iona などの島から成る Inner Hebrides と Minch 海峡を隔てた北西側の Outer Hebrides (Western Isles を成す)に分かれる。研究社新英和大辞典第6版)にやって来たからであるが、Ossory の君主、Cearbhall の娘と結婚した。Cearbh-
all は882年から888年までダブリン(アイルランド共和国東部の州)の国王として君臨したが、アイスランドは『Harold Harfagar の暴政から逃れて来た貴族やそれ以外の人々達が住んでいる、当時のヨーロッパの主要な君主国家の一つ』だったのである。
Cearbhall はアイルランドの勝利王 Chrimhthann Cosgach の孫 Connla の家系である。この勝利王はキリスト教時代になる前のおよそ一世紀に渡って繁栄を齎したと言われている。Lann あるいは Flann、Cearbhall の異母姉、はアイルランド王の
Malachy I. の妻となった。Cearbhall はその娘と結婚したのである。Flann は Si-
onna 王と Gormflaith 王女の母親である。 Gormflaith は悲惨な運命を辿った:王の一人娘、三人の王の妻、最後にはパンを求めてドアからドアに物乞いを強いられたのである。Snaebjörn の北極探検(980年頃)の日付に関して、彼のいとこ Ari Marson は、『白人の大陸』あるいは『大きな氷の大陸』、つまりチェサピーク湾(訳註 Maryland 州と Virginia 州にはいり込んだ湾 )から、南北カロライナ、ジョージア、そしてフロリダを含めて広がる北アメリカの海岸部に上陸したといわれており、新世界を一番最初に発見した者の一人として有名になった(『原註略』)。
by bbex243054
| 2015-08-18 14:34
| 科学
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