2015年 06月 14日
WHITLEY STRIEBER氏の著書「THE KEY」 翻訳 #255 |
翻訳続き#255
最も肝要な言葉は『喜び』である。このように生きていくと異常な嬉しさがあるというのだ。批判と咎めという鎖を身につけているのはあきれるばかりの感覚になる。それに、そのような社会の人は泥棒に黄金を与えなければならないと、いうようなことではない。そうではなくて、盗癖癖から人を救い出すものをその人に与えよということである。
思いやりのある世界に、例えば、おそらく監獄があるだろう。しかしながら、それらは罰するための場所ではなくて、むしろ、先天的に危険な人が安全のために置かれて誤解されていることを社会に役立つものに修復する場所であろう。それは、救い様のない罪人と更正可能な人の違いを言うことが出来る世界なのだろう。何故ならば、我々がいま行っている様々な手続き事項というフィルターによって犯罪にアプローチするかわりに、問題そのものを明確な目で見れる科学が適用されるようになっているからだ。
思いやりのある世界は、この我々の世界とは非常に、非常に違っているだろう。それは堕落していない世界だろう。幸せな世界であろう。さらに確かに余裕のある世界なのだろう。「あのお方」が明瞭にしているように、咎めの文化は費用がかかり、常にその文化に基づいたバランスのとれていない社会は、結局破壊に導かれることになる。
我々の会話のある時点で、「あのお方」は祈りを全くびっくりさせられる表現で説明した。彼は、それは『伝達の失われた科学である』と言った。我々の会話を通して、我々のものよりももっと大きな幾つかの力を持っていると思われる初期文明のことを仄めかした。この特別な分野では、本当に抜きん出ていたに違いなかった。なぜなら、彼はそれを、世界をめぐらした精妙な機械を建造して人間と神の間の意思伝達の手段として活用されたと、述べたからである。
私は、失われた文明伝説は、この世界を客観的に理解する方向の道の途中で我々が落とした一本の糸に関するある種心の中の神話なのかどうか、その伝説の伝える黄金時代は実際には、過去ではなくて、未来のことだろう、としばしば模索してきた。
by bbex243054
| 2015-06-14 11:00
| 科学
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