2015年 06月 13日
WHITLEY STRIEBER氏の著書「THE KEY」 翻訳 #254 |
翻訳続き#254
私が見た2つの世界のうちの2番目は、一番目のものより、別の具合で我々の世界とは異なっていた。そこの生物達は、彼らのものを見る見方が我々に近いとはいえないものだった。しかし、私が見た一人は、私を同様に見たが、彼か彼女かの顔だと特定出来たその顔には多くのことが表現されていた。その表情は哀しげな憐れみだった。彼らには辛い歴史があった。しかし、彼らの世界は最近根本的に変化した。彼らはおぞましい環境危機を乗り越えたのだった。いわば、火事のなかを通り抜けるように。
今では彼らの文化は 罰や報復に基づくのではなくて、「あのお方」が思いやりと定義した『自分の方から必要なものを求めてやって来るようになるものは何でも見つけて、それを来た人に与える』という思いやりに基づいた文化になった。
彼らは、今の我々の状態から全くほんの少し進歩していた。咎めの文化を終わらせてしまい、さらにもっと良い何らかの方法を暗中模索していた。
我々の世界を思いやりの場所に変換することが、「The Key」の核心になっている。完全に新しい種類の社会を創るには、思いやりが必須の成分だと思われるのだ。しかし、今日意志の弱さや他人の誤りを漠然と認めるといった感じのことを慣例的に思いやりとしているが、それが効果あるものになっているとは明らかにいえない。その思いやりは全く受け身の立場になってない。思いやりとは、先を見越して他人が一番必要とする物を探しそうしてそれらを与えることなのだ。彼が唱導する『君たちのどの人も、ひたすらかつ完全に、あらゆる他の人たちに責任がある』という個人のモラルは、新しい世界全体の秩序という美しいヴィジョンになる:
『そのような社会では、たいていは自分の方から必要なものを求めてやって来るようになるものは何でも見つけて、それを来た人に与えることが、義務となりかつ喜びとなっているのだよ。』
by bbex243054
| 2015-06-13 16:50
| 科学
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